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ヴィルクリヒ先生のレッスン室、ミーオは先生と二人になりました。
軽い発声練習の後、一つの楽譜がミーオに手渡されました。曲名は童謡『きらきら星』でした。
「英語、フランス語、ドイツ語。好きな国の言葉で歌っていいよ。」
「はい。英語で歌います。」
「お ! 英語が話せるんだね。」
ミーオはその時、ミーナに戻り、昨年末にスイスに引っ越しした時を思い出しました。
新しい女学園に転校し、新しいお友だちに馴染めず一人ぼっち。
お父さんのフランスへの出張に 、お母さんのユリウスも同行。
スイスのお家の中でも一人ぼっち・・・。寂しくて・・・。悲しくて・・・。
初めての、英語の授業も。取っつきにくくって、困っていたとき。
お隣の住人、アンドレに教えてもらった『きらきら星』『ABCの歌』 同じメロディーに歌詞が二
つ。
♪“ Twinkle twinkle ”♪ で始まる可愛い歌詞が新鮮で、英語を身近に感じる事が出来ました。
授業も少しずつ好きになれました。
「お家の中にも、アンドレさん来てくれて、お勉強教えてくれた。
だから ! 寂しくも、悲しくも、なくなった。
あぁ !
今、ウィーンで。この楽譜に出会えるなんて、不思議。」
ミーナではなく、ミーオとして最初に歌う、歌でした。
ミーオは、歌を歌う時に必ず守ろうと、思うことがありました。 どんなに簡単で短い曲でも
丁寧に心を込めて、その歌の景色を思い浮かべ歌うこと。
『きらきら星』を、ヴィルクリヒ先生のピアノにのって、歌い始めました。
その目は、先生の目をしっかりと見つめています。声は透き通る様にコロコロころがり、キラキ
ラ輝いて部屋中に響きました。
ヴィルクリヒ先生は、この部屋が夜空になって星がキラキラ輝き出した、そんな気持ちになりま
す。
「ミーオ、素晴らしい “ きらきら星 “を 歌えたね。 二重丸の入学合格点 ! 今から、短期だ
けれど、ウィーン少年合唱団員だよ。」
「本当 ? 嬉しい。」
ミーオは思わず、「ばんざーい ! 」 高〜くジャンプ ! そして、両手をぐーに握り、肩の横で
ワクワクして、喜びました。
ミーオが廊下に出ると、アンナが満面の笑顔で祝福してくれました。
「ミーオ、おめでとう。さあ、三人で、校長先生の所へ挨拶に行きましょう。」
校長先生の部屋は、長い廊下の一番奥です。
ヴィルクリヒ先生が、「二人は、ちょっと、待っていて。」と、一人先に入って行きました。
校長室の中では・・・、
「やって来たな ! 髪の長い女の子の様な、男の子だろう ? 」
「いいえ、違いますよ。短髪の坊主頭、とても感情豊かな、可愛い男の子ですよ。 声は、ソプラ
ノが抜群に美しい、曲の音程も、完璧ですよ。」
「よし、会ってみよう。」
ミーオは校長室に通されました。二人は顔を合わせ、同時に「あっ ! 」驚きの声を上げました。
ミーオは、「あの時の、神父様だ ! しまった、どうしよう…」
校長先生は、びっくりするぐらい、男の子になった、少女の決意に。
アンナは、驚いている二人の間に入り、
「ミーオ、こちらがここの校長先生、ヨーゼフ・シュニット神父よ。 校長先生、この子がミーオ
・ミハイロフ 6日間の短期入学が決まりました。」
校長先生は、ミーオに近づき「ところで、ミーオ 君には双子のお姉さんか妹さんがいるのかな?」
ミーオは、即答で、「いません。ぼく、一人っ子です。」
「そうか、君は正直者だね。明日からの、三日間のテストも頑張りなさい。」
「校長先生、本当に3つのテストに合格したら、ぼく、16日にみんなと舞台で歌えるんですよね!」
それに驚いたのは、ヴィルクリヒ先生でした。
「校長先生、どういう事ですか ? 」
「まぁ、そういう事だ。明日から3日間、ミーオのテストをお願いするよ。今は、一足先に、団員
達にミーオの事を伝えておいてくれるかな ? 」
ヴィルクリヒ先生は、困った顔で何か、ブツブツ 言いながら一人、部屋を出ていきました。
そして、ミーオ、アンナ、校長先生の三人が残りました。
「あらためて、歌の大好きな女の子、ウィーン少年合唱団へようこそ。」
「いいえ、あの、ぼくは…」
「アマーリエから全て聞いているよ。」 そう、言いながら、シュニット神父はミーオの頭をポン
ポンと、叩き 「本気の決意だね。見直した。 君の両親も応援してくれている。ほらね。」
机の上を指差します。
そこには、アレクセイのサイン入りの、入学申込書が・・・
ミーオはお父さんのサインが、なつかしく、うれしくて、ちょっと不安だった心に勇気がもてま
した。
「今から、言うことはとても大切なこと、いいね。 君が女の子だということは、私とアンナと君
の三人だけの秘密。これは絶対に守られなければならない。誰にも知られないように。
君は、秘密に包まれた少年ミーオ ミハイロフ。ドイツ語も、フランス語も、そしてもちろん
ロシア語も自由に話せる不思議な少年。
歌が大好きで、とびっきり上手い。謎の美少年。家族の話も誰にもしてはいけない ! 」
ミーオは校長先生の目をしっかりと見つめ、「はい。」
「よし ! じゃあ、これを渡しておこう。」
シュニット神父は、分厚い楽譜の束をミーオに渡します。
「16日のコンサートで歌う、全曲の伴奏、歌詞、ソプラノとアルト各パートの音符だよ。3つの
テストに合格して、3日でこの楽譜を覚えなければならないよ。」
ミーオはもう、体の中が喜びで一杯です。
「絶対テストにも合格して、歌も全部覚えます。」
その顔には、自信があふれていました。
「校長先生、ぼく、毎朝ヴァイオリンの練習をしているんですが、今朝は出来なくて、今からど
こかで弾いてもいいですか ? それから、明日からみんなが起きる前、お庭のどこかで、練習をし
たいと、思います。そして…、お昼は、ピアノの練習もしたいです。」
「歌に、ヴァイオリンに、ピアノ ? 君の体の中は、音楽で一杯なわけか・・・
まず、今夜のヴァイオリンの練習、ちょうど、生徒達のシャワーの時間だ。ずらす言い訳になる。
ホールを使いなさい。1時間と30分だけもう遅いからね。その後、シャワーして就寝しなさい。
寝室は20人同じ部屋だから、気を付ける様に…、アンナ、みんなの所へ案内お願いするよ。
次に、早朝練習は、中庭に外燈をつけてあげよう。そこでしなさい。それから、お昼のピアノ練
習は、この部屋の隣、私のレッスン室を使いなさい。」そう、言いながら、シュニット神父は隣
の部屋に通じるドアーを開け、グランド ピアノをミーオに見せ、「君は、廊下の扉から入りなさ
い。鍵を開けておくから。」 最後に、シュニット神父はミーオの肩に優しく手を乗せ、アンナの
近くへ導きました。
アンナはミーオの手を握り、「ミーオ、行きましょう。 神父様、おやすみなさい。」
二人は、校長室を後にしました。・・・と、生徒が一人廊下を走って行きます。
「ラファエル ! 廊下を走ってはダメよー ! 」
ラファエルは急ブレーキ ! おしりを突き出し、早足でずっと遠くに消えていきました。
ミーオは思わず楽しそうに、「アンナさん、何処でも一緒ね、わたしの通っている女学園でも廊
下を走ってはだめなのよ。」 そのとたん、優しいげんこつがミーオの頭に「ゴン ! 」
「しまった ! 」ミーオはその場に立ち尽くします。
アンナは先を歩きながら、「ミーオ、入学が決まって気持ちがゆるんだの ? 言葉づかい気をつけ
てね。」と、言いながら振り返ると、そこには・・・
両手をグーに握りしめ、唇を噛みしめ、一点を見詰めながら歩くミーオがいました。
そして、さっきアンナが聞いたのは、この学校での、最初で最後のミーオの可愛い女の子の言葉
づかいでした。
「大変、もうすぐ7時 ! すぐみんなに紹介するわね。その後ホールでヴァイオリンの練習ね。み
んなとシャワーをずらすから寝室へは、10時前になりそう、大丈夫 ? ミーオ。」
ミーオはずっと、ガチガチに緊張しています。小さな、消えるような声で、「はい。」
「もう。ミーオ、体の力を抜いて、笑顔 ! 笑顔 ! みんな、とってもいい子達、すぐに仲良しにな
れるわ。」
二人は中へ・・・ 真っ白なシーツのかかったベッドが沢山並んだ、とても大きな部屋の寝室
に団員達はくつろいでいました。
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