3、憧れの学校



アマーリエはミーオの肩に手をのせ、
「そんな事、ないわよ。ちゃんと、3cm、残しておいてあげたから。」
ミーオは、頭のてっぺんの髪をつまみ上げ、鏡に顔を近づけて、
「ほんとだ ! すごーい、3cm しかない。本当に男の子になったんだね。ありがとう。」
ミーオがそう言ったとたん、アマーリエは
「大丈夫なの ? 」
「うん、ぜんぜん平気だよ。女の子ミーナとはさっき1時間かかって、しっかりお別れしたから。」
ニコッと、笑ったミーオに、アマーリエはポロポロ涙を流しながら、抱きしめます。
ミーオはアマーリエの突然の涙に驚き、
「アマーリエさんどうして泣くの ? ぼく、そんなに変になっちゃったの ? 」
不安になります。
「ごめんなさい。そんな事ない ! 立派よ。見直したわ。」
そして、ミーオのほっぺたを両手で挟んで、
「頑張ってね。どんな事があってもくじけないでね。」
「えっ ? 」
その意味は、学校に行って、ずっと先に分かるのでした。でも、アマーリエの言葉を思い出し乗り
切る事が出来たのでした。

ドンドンドン ! ドアを叩く音が…。 ユーベルが帰って来たようです。
ミーオの着替えを、ドサッと、置いたユーベルは驚きの声を上げました。
「うわぁ、ミーナ! 本物の男の子になってる。」
ミーオも得意気に、
「見て、見て、僕の髪ユーベルより短いよ。頭から、3cmしかないんだ。」
「ほんとだね。男の子のミーオ、これからはお風呂も一緒に入れるね。」
ミーオの心臓が、ドキッと、しました。すかさず、アマーリエは、
 「なんて事言うの、この子 !  レディーを傷付ける様な男の子は、ジェントルマンになれなくて 
よ。」
「ミーオ、ごめんなさい。命より大切な髪を切った君に、意地悪、言ってしまって。」
「ううん、いいよ。だってユーベルたくさん、僕に協力してくれたから。ありがとう。」
「すごい ! ミーオ、男の中の男だね。」
「ありがとう。」
横で、アマーリエがクスッと、笑いました。
そして、アマーリエはユーベルに近付き、
「ユーベルには、これから16日まで、とても大切な事を行ってもらいたいのよ。これが上手に出来
れば立派なジェントルマンになれるわ。」
そう言いながら、ユーベルの耳元に顔を寄せ、手で口の回りを囲いながら、内緒で指示を与えまし 
た。
ユーベルはうなずきながら、表情がパッと、明るくなりました。
「うん ! それってとっても大切なだよね。ぼく、絶対上手にやってみせる。アマーリエさん、任せ
ておいて。」

いろいろあった、8月11日。 時計はとっくに4時をまわっています。
ちびっ子2人とアマーリエは、食事をとるのも、忘れていました。
「何だか、くたくたね。お腹も空いてしまった…、3人で、どこかでお食事しましょ。 後、ユーベ
ルはお家に帰りなさい。わたしは、ミーオを学校へ連れていくわ。」
そう言いながら、ふっと気がつくと、ミーオがレースの可愛いポシェットを肩から掛けようしてい
ます。
「あっ、ミーオ、それは置いていきなさい。」
「はーい。」
ミーオは急いで、ポシェットの中から、はんかち、はな紙、小さな容器を取りだし、パンツのポケ
ットへ入れました。
最後に、小さなヴァイオリンをしっかりと、手に握りしめます。
アマーリエは、少女の様な少年の様な、その可愛い仕草に思わず、目を細めてしまいました。 そ
して、 心の中で 『わたし、いったい何しているんだろう ? でも、楽しい。』
生き生きしている自分が、何だか、信じられませんでした。

夕方6時前、アマーリエとミーオが、少年合唱団の学校へ向かいます。
ずっと遠くの高い塀の門の前で、シスターの格好の女性が二人を待っていてくれました。にっこり、
笑顔で優しそう・・・。                                  
「お待たせ、アンナ。 ユーベルって男の子の持ってきた私の手紙、読んでくれたのね。
面倒だけれど、ごめんなさい。」
「面倒だなんて、とんでもないわ。 こんなに可愛い女の子のお世話が出来るなんて。あっ、じぁ、
なくて。男の子ね。ごめんなさい。」
シスターの女性は、小さなミーオの前にかがんで、優しく手を握りながら、
「はじめまして、寮母のアンナよ。 これから6日間、ずっとあなたの傍にいて、守っていてあげ
る。 あなたの回りは全員が男の子 ! でも、わたしがいるから大丈夫。
安心してね。 お名前、教えて。」
「ミーオ ミハイロフです。 アンナさん、よろしくお願いいたします。」
アンナは、ミーオの切りたてのジョリジョリした短い髪を優しく撫でながら、
「伸びるわよ、髪なんて。元通りに…。」
ミーオは、小さくうなずきました。
「さあ、ヘルマンの所へ行きましょう。 ミーオ、あなたの歌を聴きたがっている。
アマーリエも、何年ぶり ? 会うの久しぶりでしょ。」
アンナは、高い塀の中、ウィーン少年合唱団の学校の中へ案内しました。
ミーオはもう、夢のような気分 ! 憧れの学校の中にいる自分が、信じられませんでした。

さあ、ここよ。
アンナが扉を開けようとした時、中から一人の少年が出てきました。
「リヒャルト、みんなに今言った伝言、頼むよ。 それから、楽譜もみんなに配っておいてくれるか
な ? 新しい曲だよ、しっかり予習しておくように。」
続いて出てきた男性から楽譜のプリントを受け取り、リヒャルトと呼ばれた少年は、こちらに視線
を移しました。
ミーオは、「はじめまして。」 しっかり少年の目を見つめ挨拶をします。
二人の目が合った瞬間から、その男の子は首をかしげ、少しの間考え込みます。
ミーオと同じ短髪の髪はダークブラウン、そして暗褐色の瞳・・・、 ミーオが見たことのないよう
な、深い深い海の底の様な色でした。
ふっと、我にかえり、少年は「こちらこそ、ようこそ。」そう答え、廊下の向こうの方へ、去って
行きました。
「ヴィルクリヒ先生、失礼するわね。懐かしいでしょ、アマーリエよ。」
「パリジェンヌ アマーリエ、ようこそ、ウィーン少年合唱団へ。あれ、可愛い贈り物を連れて来
てくれたんだね。」
「ええ、ヘルマン・ヴィルクリヒ。16日のコンサートの日まで、よろしくお願いするわね。シュニ 
ット神父から、聞いてもらっていて ? 」                          
「もちろん、歌の大好きな、綺麗な声の少年、楽しみに待っていたよ。さっそく、聴かせてもらお
うかな ? アマーリエとアンナも一緒に聴くかい ?」
アマーリエは、ちらっと、時計を見て、
「私はもう、おいとまするわね。ちょっと、急ぎの大切な用事があるから。シュニット神父にも、
挨拶しなくては。 ミーオ・・・、」
アマーリエはそう、言いながら、ギューッと、ミーオを抱きしめました。耳元で、「がんばって。」
と、囁きながら。
アンナもアマーリエと、部屋の外へ出て行き、しばらく、耳を済ませます。中から、美しいソプラ
ノが聴こえてくると、アマーリエは安心して、その場を立ち去っていきました。アンナをその場に
残して。