|
翌日、8月11日。
ミハイロフ一家の一室へ、イザーク、ユーベル親子が訊ねて来ました。
イザークは、アレクセイとユリウスの旧友です。
そして、イザークも一人息子の父親です。
でも、イザークは幼いユーベルをひとり、ウィーンの大ピアニスト “ ウィルヘルム バックハウス”の
元へ弟子入りさせていました。 まだ、5歳の幼い我が子、ただ一人ウィーンへ… 。
親でありながら、近くで息子を見守る事をせず、バックハウス氏に全てを託したイザークに、アレクセイ
は去年、こういう言葉を掛けたのでした。
「イザーク、息子を育てる為に、感情の喜びの全てを押しつぶす事は愚かしい事だ。
厳しくするだけが教育ではない。愛がどれほど、勇気と意志を強くしてくれるか、お前は、学んでもいい
んじゃないか…。
忘れるな...自分を甘やかす事はいましめねばならないが、決して自分に厳しすぎる必要はないのだ。」
と…。
それは、遠い昔アレクセイがロシアの親友ズボフスキーから、かけられた心を打つ言葉でした。
イザークも又、この言葉により、バックハウス氏にピアノの全てをユーベルに教育してもらいながらも、
自分も共に息子のそばで暮らし、新しい生活を送って行こうと、思ったのでした。
ユーベルはイザークに甘える事なく、ひた向きに毎日ピアノのレッスンに励んでいます。
そんな、ユーベルも今は、ピアノも短い夏休みお父さんと楽しい夏休みを送っています。
ユーベルはおっとりした男の子、出会って数分後には、2つ年上のお姉さんミーナの子分となっていまし
た。でも、とても仲良しです。
二人は両親から、お小遣いをもらい、ウィーンの街へ出掛けることになりました。
「ちょっと待って!」
ミーナは、ポシェットの中から、小さなリボンの付いた髪ピンと、ビーズのブレスレットを出します。
「お母さん、髪にピン留め付けて!」
ユリウスはミーナの前髪の横に、丁寧に飾り付きのピンを留めます。 そして、ブレスレットも手首に巻
き付けました。
ミーナは、お洒落の大好きな女の子です。
イザークは、ユリウスそっくりな娘に目を細めながら、
「女の子は、出掛けるのに色々準備がいるんだね。 ユリウスもすっかり、お母さんか…。」
複雑な想いで、仲の良い母娘の姿に見いってしまいました。
ミーナは、ポシェットを肩から掛け、手に小さなヴァイオリンを握りしめます。
朝、練習出来なかったから、”毎日欠かさずヴァイオリンを弾く!” お父さんとの約束、 ここ、ウィーン
でも守ろう! 何処かで場所を見付けて、今日中にお稽古しよう! 揺るぎない決意です。
二人は手をつなぎ、「行ってきま〜す。」
外へ、飛び出して行きました。
「ミーナ、何処でも、案内するよ。」
「ほんと? 私、ウィーン少年合唱団の学校、のぞいてみたいの! でも、場所は、分からない。」
「ぼく、知ってるよ。そこの音楽の先生、バックハウス先生の友達なんだ。
一緒に学校に連れていってもらった事がある。 場所も、覚えている。
さあ、行こう!」
ユーベルは駆けて行きます。 ミーナも、後を、追いかけていきました。
「ここ、ここ!」ユーベルが指差す先…。
そこには、高い塀が続いています。
そして、表札が 『ウィーン少年合唱団 関係者以外立ち入り禁止 』
中から、かすかな美しい歌声が♪…
「ユーベル、天使の歌声 “ウィーン少年合唱団”私のあこがれの学校なの。 シューベルトやハイドンも、
ここで歌のお勉強をしたのよ。」
「ミーナ、物知りなんだね。」
「スイスのお家にね、新聞記者のベルナールさんが、毎日フランスからフィガロの日刊紙を送ってくださっ
ているの。」
「フィガロ? 日刊紙 ?」
「そうよ、新聞! 新しい事がいろいろ書いてあるのよ。 フランスの事、世界の事、音楽、お料理、お洒落
な記事も…、読んでいてとっても楽しいの。
そこにね、天使の歌声“ウィーン少年合唱団”8月16日に、初めての第1回コンサートが王宮礼拝堂であ
りますっ て…。私の誕生日よ!
いろいろ詳しくその学校の事も書いてあったの。
絶対、行ってみたいと思った ! 」
「ミーナ、ここに来れてよっかたね。 ぼくも、お手伝い出来て嬉しい。」
「ありがとう。
ユーベル…
一人で歌う、歌も素敵だけれど、みんなで歌う、合唱はもっと、もっと素敵よ!
歌に膨らみが出て、生き生きしてくるの、命がね… 芽生える! そんな感じよ。
たとえば、 『野ばら』
♪ わらべ〜は み〜たり
野なか〜の ばら ♪
これが、1人で歌う 『野ばら』
これを、2人で歌うと、 ユーベル、歌ってみて! 」
ユーベルが歌い、ミーナがそれにあわせてハミングします。
♪ わらべ〜は み〜たり る る るるるん
るる 野なか〜の ば〜ら るる るん ♪
「あっ、すごい! 野ばらがゆらゆら揺れて、咲いてるみたい。」
「そうでしょ。それが、合唱なのよ。」
「ミーナの声、天使みたいに綺麗に響いてる。」
「あ〜、私もウィーン少年で一緒に歌いたい! こんなに歌が大好きなのに…
男の子でないのだけが理由で、合唱団に入れないなんて、絶対におかしい!」
「そうかい?」
「あぁ、びっくりした! 神父様、いつからいたの?」
「ずーっと、いたよ。最初っから。」
いつの間にか、ミーナ達の後ろに、優しい雰囲気の神父様が、ニコッと、笑って立っていました。
「歌が大好きな女の子がいるのに、どうしてだめなの?」
「そういう決まりだから、仕方がないね。」
「あっ! じゃあ、男の子だったら、入れるのですか? 」
「もちろん !」
「でも、6日間しかウィーンにいないから、だめ ?」
「今、欠員があってね! 短期入学の募集もしてるよ。」
「ほんと! 短期入学でも、みんなと舞台で歌えます? 」
「う〜ん…、舞台かぁ、 それはちょっとね、まぁ… 3つのテストに合格すれば、なんとかなるかな ? 」
「分かりました。神父様ありがとう。ユーベル ! 行くわよ。」
「待って・・・、 ミーナぁ〜。」
神父様は、少し頭をかしげ、何かおもしろい事になりそうだと、意味ありげに二人を見つめていました。
|