アンナはホテルの一室で前に座る、美しい女性をぼーっと。見詰めています。
先程の男性の奥さん。そして、ミーオのお母さん。
彼女はただ、ひたすらに自分の話す言葉を紙に書いています。 “ 話せないから筆談で。” と、メモをもらったの
でした。
“こうして、待っていても退屈でない。この人を見詰めているだけで。何て綺麗な人。時々、目が合う。その度に
ニッコリ笑い、また。言葉を書き始める。なんだか、リズミカル!”
ユリウスはアンナを見詰め、自分の気持ちの言葉を書いた紙を手渡しました。
『自己紹介が遅くなりました。ユリウス・ミハイロワです。ユリウスと、呼んで下さい。娘の事もミーナで結構で 
す。 アンナ。ミーナによくしてもらって、ユーベルから毎日聞いています。
貴女とは気があって、これからも仲良くしていけそう。よろしく。』
「ええ。こちらこそ、よろしく。ユリウス、ミーナのお母さん。本当にそっくり。でも、性格はお父さん譲り?かし
ら。もう、すっかり学校では男の子。
ミーナは優しいお父さんとお母さんに大切に育てられてきたんですね。」
ユリウスは大きく首を横に振ります。そうではない!と、悲しそうに。
『自分は罪深い人間です。この様に声の出ない世界にいるにも、ひたすら神の許しを乞うためなのです。
8年前記憶を失い、ロシアに夫と娘を残し一人ドイツへ帰りました。
去年、再会し……7年も娘の事すら忘れていたのに、ミーナはとても慕ってくれて。
小さな事でもあの子の為なら色々してやりたい。支えてやりたい。
あの子の幸せだけを今は思っています。』
「幸せに見えても、そこに行き着くまでに色々ある。そういう事? 私も今、とっても幸せ! でも、ユリウスと同じ
よ。迷って、悩んで、今があります。聞いてもらえます ? 私の事。お友達として。」
ユリウスは大きくうなずきました。

アンナは自分の事を人に話すのは初めて。おまけに知り合って間もない相手に!
でも。男性の名前の不思議な魅力を持つ美しい女性“ユリウス”『仲良くしていけそう』そう言ってもらったのが
嬉しくて、話を聞いて欲しいと、思ったのでした。

「私とアマーリエ、親友なんです。でも、年は10歳くらい離れています。ふふっ! 初めて会ったのは、私がまだ少
女の時。私の両親とシェーンベルク教授が知り合いで、一緒にお屋敷にお邪魔して、そこにアマーリエが いて! 自
由奔放で、明るくて、綺麗できらきら輝くおねえさん。私は、恥ずかしがり屋で内気で。アマーリエは直ぐに気の
合う仲間達と出掛けていきました。でもね、チラッ!と目が合ったの。彼女が出掛ける前に一瞬。私、もう一回会い
たくて。両親に頼んでしばらくお屋敷にいさせてもらいました。
私、なにもしないで時間を過ごすの平気なんです。お屋敷の中をぶらぶら見て回ったり、ぼーっと庭を眺めていた
り。
長い時間が過ぎて。賑やかな声がして、アマーリエと仲間の人々が帰ってきました。
そして……! また、一瞬。目が合いました。ドキッ!と、しました。そうしたら、彼女、私に近付いてきて、『まだ
いたの ? もう少し待っててね。初めまして、私の事はアマーリエと呼んでね。私達、気が合いそう。仲良くしまし
ょう。』そう言ってくれたんです。                                  
今、ユリウスが書いた言葉と同じでしょ。ずっと忘れられない“大切な言葉”愛しいミーナのお母さん。貴方の言
葉から聞けるなんて嬉しくて。親友がもう一人増えた! 」
ユリウスは続きの話が聞きたくて、アンナを見詰めます。
「仲間の人々が帰って行って。『お茶しながらお話ししましょ。』って。
恥ずかしがり屋の私なのに、どきどきしなかったの。アマーリエの最初の言葉!
『今日もね。初めて会った男性とキスしたのよ。』
“はしたない”って思わなかった。私、思わず『ぷっ!』って吹き出して。大笑い!
アマーリエも『ふっふっふっ』って、二人で。笑い転げてしまったの。
今、考えたら。本当に不謹慎、でも。その時は、嫌らしいって思わなかったの。
アマーリエ、『貴女とは親友になれそう。ただ一人の親友!』小さく呟いたの。
『ホテルに泊まっているから、遊びに来てね。アンナ。』今でも耳に残っています。
私、ずっと聞き役。引っ込み思案の私には絶対体験できない、大人の世界。うっとりして聞いていました。両親も
アマーリエに会いにいくことは反対しなかったの。家の中ばかりいた私が、外の世界に出るようになったから。

そして、アマーリエの嫌な噂が沢山流れて。結婚。離婚。自殺未遂。色々あって傷付いて、パリへ旅立つ事になり
ました。世間では非難する声が沢山。でも、両親も私も最後までアマーリエが好きで、旅立つ日。母が『挨拶に行
って来なさい。』って。私、ホテルへ行きました。
『来てくれてありがとう。親友、アンナ。』凛とした、アマーリエがいました。    
ずーっと、それから。手紙のやり取りをしていました。
ウィーンの話を私が。パリの話をアマーリエが……。少しずつ、内容が変わり、いつの頃からか、手紙の中に“自
立した女性アマーリエ”が登場するようになって……。
それから何年か経ち、私は女学校を卒業しました。でも、性格は同じ。内気で、臆病で引っ込み思案。家でぶらぶ
ら。ボーイフレンドもいなくて、将来の計画もない。でも、外へ出たかったんです。教会の修道女になる決心をし
て、両親に猛反対され。
アマーリエに相談の手紙を、自分の良い所、悪い所さらけ出し、そんな私でも、求めてくれる所はあるのか? そう、
聞いてみたんです。
それから何日か後、シェーンベルク教授とシュニット神父が訪ねて見えて。
『アンナにぴったりの仕事がある。』って! 神父様はアマーリエの書いた私の推薦状を持っておられて、
『ウィーン少年合唱団を設立します。寮母として働きませんか?』って。
それで、今の私がいます。
神父さんが“推薦状の内容が気になりますか?“って。
私は「気になりません。」って言ったけれど。両親は気になるみたいで、読みながら泣いていたわ。私……、読ま
なくて良かった。もし、読んでいたら大泣きしていたと思う。
直ぐにアマーリエにお礼の手紙を書きました。直ぐに返事が来て。
“推薦状? あぁ、アンナが自分で書いていた、貴方の良い所と悪い所を書いたのよ”って。私、結局それを読んで、
大泣きしました。
ごめんなさい、ユリウス。前置きが長くて。」
ユリウスはメモを手渡します。『全て、今のアンナがいる為の大切なお話。続けて、アンナ。』アンナは安心して
話し続けます。
「寮母のお仕事、楽しくて。子供達は可愛くて、歌声も素晴らしい。
神父様は校長先生になられて、尊敬しています。面白い方よ。ユリウスも会ったでしょ。
そして。音楽教師のヘルマン ヴィルクリヒ……。会って、直ぐに好きになりました。彼も私を愛してくれて! アマ
ーリエもよく知っているの。昔から、シュニット神父様のお気に入りだったから。
アマーリエったら、”真面目な女の子には、真面目な男性がぴったりねっ!”
私達、結婚するんです。来年! 年はとても離れています。でも、両親も大賛成です。」
ユリウスはアンナの話が楽しくて。手でストップをかけ立ち上がり、お茶を淹れます。ミルクティーとプチケーキ。
「どうして? 喋り過ぎて喉が乾いて、お腹も空いて甘いものが食べたいなぁって。」
アンナは嬉しそうに、「いただきます。」
アンナは思います。“楽しいわ。時間がゆっくり流れている。アマーリエといた時とはまた違った楽しさ。お茶っ
て、淹れる人によってこんなに変わるの? 優しい味。”                           
     ユリウスは思います。記憶が戻ってから、こんなに楽しく同じ女性として時間が過ごせたのは初めて! 幸せ。
「あのう。ユリウス。聞いてもいい? テーブルに飾ってあるこれ、ハーブのミント? さっきのレモネードにこれ、入
っていた?」
ユリウスはうなずき、親指と人差し指で摘まむような仕草で“ちょっとだけ”と合図します。
「やっぱり! 爽やかな、すーっとした味。後で、作り方教えてもらえます?」
ユリウスは何度もうなずきます。
女性二人のまったりした時間が過ぎて行きます。