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「みんなの大好きな、2部の1曲目『カリンカ』からいきます。」
ヴィルクリヒ先生はピアノに左手をのせ、右手を大きく挙げます。
ピアノを弾きながら指揮を振る、弾き振りです。
団員達は先生の指揮を見、ピアノを聴き(本番はオルガンです。)歌います。
先生の感情豊かな世界が広がります。一年間毎日練習してきたからこそ、ひとつになれるのです。
ミーオも心の中でハミングしながら、みんなと歌っている自分を想像します。
“あっちへ行きたいなぁ! やっぱり、一人は寂しい……”
所々、先生の厳しい指摘とやり直しが。でも、みんなとっても楽しそう。
だって、5曲全部。大好きな曲ばっかりだから!
一曲終わるたびに全員がお辞儀します。ミーオは心を込めて拍手します。
5曲目、シューベルトの『ます』まで、無事に終わりました。
時間は6時まで、あと15分 ! あっという間に時が過ぎていました。
「続けて、讃美歌いきます。」
トイレ休憩がとばされました。
モーツァルトのミサ曲 『キリエ』、美しい前奏。
マグヌスは先生の後ろのミーオを見詰めます。
外は激しい雨、遠くに雷の微かな音。“ピカピカ! ”時折外に光が放たれ、不思議な世界。すーっと現実から遠退
いて行く自分がありました。
昔々大好きなママに連れられて訪れた教会。あれはクリスマス・イブだった。あぁ、真っ白な衣装の聖歌隊。
「賛美歌よ。」「神様をたたえる歌。」ママが教えてくれた。夢心地で聴いていたマグヌス。まさか、自分があの
美しい調べを大勢の前で歌う日が来るなんて! 尊くて限りなく美しく響く歌声。僕なんかには絶対に歌えない。無
理。ずっと、ずっと自信がなかった。
でも、今は。
先生の前奏で、自分の体が清らかに。まるで背中に羽が生えて天使になっていく。そんな思いがして来ました。
天の神様をたたえ、捧げる歌。
一歩、また。一歩。神様に近づいて行く。みんなの声と自分の声が一つに重なって。もっと極めよう。透き通る様
な心地よい清らかな歌声に。
「8月のメリークリスマス」マグヌスの心の中にそんな言葉が。
「神様。僕はいつでも天使になって、賛美歌をあなたにプレゼントします。」
すーっと、現実に。
先生の後ろの仲良しで、大好きなミーオと目が重なりました。
「ミーオって、なんか。ママに似ている! 」
短い美しい調べの曲。マグヌスは先生の後ろのミーオを見詰め歌います。今までで、最高に美しいソプラノがミー
オの耳に届きます。
そして、歌い終わったとたん。思わずにっこり歯を見せて笑い大きくガッツポーズしてしまいます。
「だめだよ ! 」ミーオは首を振って合図。でも、間に合いませんでした。
ヴィルクリヒ先生の強烈な注意が!
「マグヌス! 何をヘラヘラ浮かれて笑っているんだ。こんな短い曲が少し上手く歌えたぐらいで、油断するんじ
ゃない!! 」
そのとたん、マグヌスはいつもの弱虫マグヌスに、頭は真っ白に、「上手く、歌えたのに! ひどい。」ガラスの心
臓はこなごなに砕けてしまい、目から大粒の涙が溢れてきました。
ぴかぴか!!! ゴロゴロゴロ!!! バリバリバリ!!!……ぴかっ! ゴロ!
ウィーン少年合唱団のすぐ近くに雷が落ちた様子。
全員が凍りつき、ホールは異様な雰囲気に包まれました……。
マグヌスのポロポロ流れる涙を目の辺りにし、ヴィルクリヒ先生はやっと我に返ります。
自分がとんでもない誤りをおかしてきた事。
マグヌスを傷つける冷静さを失った言葉を投げつけてきた事。
後悔し、反省します。でも、時は完全に遅かったのでした!
そして。もう一人……
ミーオは、1時間半を過ぎた頃から。
頭はフラフラ、足はガクガクしています。
『あぁ、マグヌスがニコッと笑いガッツポーズしてる。でも、先生は大きな声で注意した。マグヌスが泣いている。
ぼくは……。立っているのがやっと!
目の前がチカチカ、息苦しい。
早く6時になって……。そうすればアンナさんが来てくれる。それまでは、倒れてはいけない。
先生が「ここでずっと立って聴いてなさい。」って言ったから。
“はぁ、はぁ…… ”
息をするたび、肩が揺れる。
“もうだめ? ううん、もうちょっと! “
先生が大きな声でなにか言った? マグヌスが涙を流している。
ゴロゴロゴロ!!! 雷? 落ちた?
扉が開いて、あっ! アンナさん。 もう、だめ。』
ホールの扉が開き、ニッコリ笑ったアンナが顔を覗かせます。そして、ビックリ顔に変わり
「どうしたの ? マグヌス! 涙が……溢れている。」
リヒャルトが叫びます。
「アンナさん。ミーオがおかしいんだ! フラフラしてる。倒れそう! 」
「え? ミーオはどこ? まぁ、どうして、みんなと離れた所に立っているの? 」
そのとたん。ミーオの膝が折れ、地面へ……。
アンナは急いで、抱きかかえました。
「アンナさん、ヴィルクリヒ先生ったらひどいんだ! ミーオずっとずっと、立ちっぱなし。ずーっと、歌も歌わさ
れてなかったんだ。」
「まぁ、何て事? ヘルマンったら、私を追い出してそんなひどい事していたの? 」
この子達は、ご両親からの大切な預かりものよ。もっと、大事になっていたら……。」
「アンナ、違う! これは、校長の命令で。いや、そうじゃなくて……。あぁ、もう!!! 」
フェリックスが。
「アンナさん。大変! マグヌスがお漏らししてしまった。先生、トイレ休憩とばしたんだ。」
「あらあら。まぁ〜! 」
ミーオを抱っこしているアンナはオロオロ。そして、ヴィルクリヒ先生を睨みつけます。
ヴィルクリヒ先生は頭を抱え、よろよろとホールから出ていきました。
ホールの中は、ワイワイがやがや。
その時!!! リヒャルトが!!!
「みんな、落ち着いて。
まず、ラファエル。君は足が速いから、大急ぎでリネン室へ行って! マグヌスの着替えをシャワー室へ。雑巾はこ
こへ持ってきて。」
ラファエルはすぐさま、出ていきます。
「アルトパートは汚れた後始末。バケツに水汲んで、みんな手分けして。
ソプラノパートはマグヌスをシャワー室へ、優しく手当てしてあげて。」
みんな、それぞれに散らばります。
「アンナさん。」振り返ると……フィリップが、椅子をくっつけ並べ、毛布を敷いています。
「こっち。」
アンナはミーオを休ませます。
フィリップは、乾いたタオルで冷や汗をふき、暖かいタオルを額におきました。
「フィリップ。よく気が付くわ。ありがとう。」
「ううん。ぼくの妹も貧血でよく倒れるんだ。でも、ミーオったら女の子みたいでね。」
「ミーオね。朝からあまり、食べてなくて。」
フィリップは笑顔で、シャワー室へマグヌスを迎えに行きました。
アンナが見渡すと。ホールはすっかり元通りに、マグヌスも帰ってきました。そして、ミーオも意識を取り戻し、
ニッコリ椅子に座っていました。
「みんな、休憩にしましょう。ミルクとクッキー持ってくるわね。」
ウィーン少年団の中の嵐は行き過ぎ。静けさが戻りました。
「ミーオ、大丈夫? 」
リヒャルト、ミーオ、フェリックス。いつもの3人がクッキーとミルクで休憩していると、マグヌスが、横にやっ
て来ました。仲良しのフィリップも一緒。
「ありがとう。マグヌス! 君の方こそもう、落ち着いた? 」
マグヌスは首を大きく
「うぅん。お礼をいうのは僕の方。ありがとう。ミーオのおかげで、僕! 変われそう。」
「えっ? なにもしていないよ。倒れちゃって、みんなに心配かけちゃった。」
マグヌスはチクチク瞬きせず、どもらず、ゆっくりミーオを見詰め、話します。
「今までね。僕、泣き虫だった。先生に注意されても、歌詞を忘れてみんなに迷惑かけても、泣いてごまかしてい
た。ミーオは凄い! そんなに小さいのに。辛いだろうなぁと、見てても。いつも笑顔。今も、倒れるまでずっとぼ
くを見てくれていた。
だのに、僕。先生に注意されただけで、泣き出して……。これからは、笑顔で乗り越える。
大好きな歌と一緒に! 苦手な、讃美歌もミーオのおかげで大好きになったんだ。
ありがとう! ミーオ。ここに来てくれて。お友達になれて、良かった! 」
その頃、校長室では……。
「校長、もう限界ですよ。いい加減にやめませんか? こんなこと。」
「いや! 最初の打ち合わせ通り。いいね、ヴィルクリヒ君。」
ヴィルクリヒ先生は、渋々廊下へ出てホールへ向かって行きました。
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