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ホールに全員が揃い、団員一人一人が予行練習に備えそれぞれの思いを描いている時、校長室では、
指導者二人が最後の打ち合わせを行っていました 。
「ヴィルクリヒ君。いいね ! 今、決めた通り感情に流されないよう。」
「はい。分かっています。校長、でも……気が重いですよ。
そこまでする必要があるのか、自分でもよく分からなくて。」
「するんだ。必ず、いいね。」
ヴィルクリヒ先生は、何度も溜め息をつきながら、ホールへ向かいました。
そして、ホールでは。
リヒャルトとフェリックスが厳しい顔で話し合っています。
「今日は絶対、ヴィルクリヒ先生に抗議するんだ。」
「ぼくも応援する。」
二人があまりに意気込んでいるので、アンナは気になり、
「何が ?」
「実はね。アンナさん、ミーオの事! ヴィルクリヒったらひどいんだ。いつも! 」
リヒャルトの答えたのに続き、フェリックスも“ぷんぷん”です。
「歌の練習で、ミーオはコンサートの歌だけみんなの列から外されるんだ。
今朝も、シューベルトの『野ばら』は全員で。ウェルナーの『野ばら』は“この曲はコンサートで歌うから、ミ
ーオは列から離れて聴きなさい。”って除け者にして……! ひどいよ! 」
「あら。何て事! 可愛そうに! 」
「でも、ミーオはニコニコ笑って。からだ全体でリズムを取りながら、とっても楽しそうに聴いているんだ。」
「でも……。今からは、全曲コンサートの練習でしょう? 一曲目も歌えなくて、最後まで聴いてなきゃいけない
って事? 」
「そうなんだ、アンナさん。だから、リヒャルトが抗議するんだ。」
「ぼく! 絶対に言ってやる。ヴィルクリヒに! 」
「リヒャルト。さっきから、先生の事呼び捨てにしてる。気持ちは分かるけれど、感情的になったら駄目よ。い
つもの冷静さを持ってね。」
「はい。アンナさん大丈夫です。」
そして、ヴィルクリヒ先生がホールに入ってきました。
「みんな、始めるよ。整列!! 」
全員がピアノを囲んで二列に並びます。もちろん、ミーオもその中にいます。
アンナが心配そうに見詰めていると……。
「アンナ。気が散るから、出ていって! 」アンナは。まるで、別人の様な冷たい言い方にビックリ。
「あの〜。休憩にミルクを持ってきたいんだけれど。いつ頃がいいかしら? 」
「今、4時前だから、6時頃にお願いする。それまでは、絶対にホールの中に来ないように!! いいね。」
まるで、威嚇するような言い方。
アンナは不安な気持ち一杯で、下を向き。無言でホールを後にしました。
「じゃあ。今からコンサートの予行練習を始めます。ミーオ、君は列から外れて。向かってみんなの右端によっ
て聴いていなさい。」
ミーオの胸がきゅーっと、悲しみで一杯になります。でも、笑顔で列から外れて遠くの右端へ。
「はい。先生! 」
「なんだい ? リヒャルト。」
「ミーオ。二つのテストに合格していますよね。だから、今からの予行練習。みんなと一緒の列で歌ってもいいん
じゃないかな〜って、思います。」
フェリックスもすかさず、
「ぼくも賛成です。3つ目も合格に決まっているよ。」
でも……、答えは冷たいものでした。
「それは駄目だ! 舞台に上がることが正式に決まっていない彼を、列に加えることは出来ない! 」
全員が先生を睨みつけます。でも……、ヴィルクリヒ先生は無視!
「じゃあ、始めよう。まず舞台の袖に並んで。
えぇっと。ちょうどミーオの立っている所が舞台の袖の目印だ。
ミーオが舞台の袖だと思って、そこを先頭に並びなさい。」
「はい。先生! 」フィリップが手を上げ、先生を“ギュッ! ”と、見詰めます。
「なんだい ? フィリップ。」
「その言い方は、ミーオに失礼です。ミーオは舞台の入り口の目印ではありません!
舞台への出演は決まっていなくても……。
ぼくたち団員のメンバーの一人です。入り口の目印なんて言い方は、やめてください! 」
今まで一度たりとも文句を言ったことのない、優等生のフィリップの言葉に、先生はびっくり。
言葉を改めます。
「悪かったね。ミーオ……、先生の斜め後ろに移動してくれるかい?
ここだと、みんなの歌っている姿がよく見える。先生と一緒にみんなの歌う姿を見ていなさい。」
「はい。」
ミーオの胸の中が熱くなりました。「ぼくも団員のメンバー!!! 」
そして。ふっと、髪を短くした時のアマーリエの言葉を思い出しました。
“ どんなに辛いことがあっても頑張るのよ。”
「アマーリエさん。ぼく、乗りこえてみせる。みんなと舞台で歌いたい!! 」
そして、“ここで何か出来る事はないかな? ”と、思いました。
予行練習が始まりました。
1部 讃美歌 一曲目『 サルベレジーナ 』舞台の向かって右袖から2列で並んで、入場しながら歌います。
♪サルベレジ〜ナァ〜♪ 美しい歌声がホールに響きます。
でも……、いつもの滑らかさ、柔らかさががありません。
「先生を含め、みんなガチガチに緊張している」ミーオは思いました。そして、フェリックスにウィンクで合図し
ました。ムードメーカー、フェリックスは頷き……、両手を上げ大きく深呼吸「ハァ〜! フゥ〜! 」
全員がフェリックスに注目! 「みんな、ガチガチ! こうすれば、肩の力抜けるよ! 」
みんなに笑顔が戻りました。ヴィルクリヒ先生も笑っています。なんか、いい感じ!
フェリックスはミーオにウィンクで”ありがとう”のお礼を返しました。
2曲目バッハ・グノーの『アベ マリア』
出だし間もなく先生の注意が入ります。
「ラファエル! テンポがはやい。よく指揮を見て! 」
かけっこの得意なラファエルは曲に乗り始めると、リズムも駆け足に……。
何度も、やり直しが続きます。
ミーオの瞳は今度はリヒャルトと合いました。リヒャルトは頷き。
「ラファエル! マリア様は走らないよ。おしとやかにいつも歩くんだ。そんな気持ちで……
耳を澄まして、ピアノとみんなの声をよく聴いて。自分の声をそこに乗せる様に歌ってごらん。」
ラファエルは緊張が溶け、笑顔に
「ありがとう。リヒャルト! よく聴いて、落ち着いてだよね。」
「うん。」
ヴィルクリヒ先生も頷いています。
『アベ マリア』全員のテンポが揃います。
美しいメロディーがホールに広がり、ミーオはうっとり……。
“あぁ、ぼくもあそこで歌いたいなぁ”
視線をす〜っとそらし窓の外を眺めると。雨足が強く、風もぐるぐる吹きまくっています。
そんな様子をぼ〜っと見詰めます。
一方、列の中では。マグヌスのチクチク瞬きが始まっていました。
苦手なミサ曲の歌詞がどんどん頭の中から消えていく!
心の中で叫びます。
“ミーオ!! こっちを見て! ぼくを見て、励まして!! ”
でも……、ミーオは気付かずよそ見をしていました。
マグヌスの口パクが始まり、ヴィルクリヒ先生が大声で活を入れます。
「マグヌス! どうした? 声が出ていない。口パクでごまかしても駄目だ! 」
ミーオも我に返り、ドキドキ。
マグヌスのガラスの心臓は、壊れる一歩手前。
その時、フィリップの助けの声が!
「先生! 休憩を入れませんか? 続きの歌も2部のたのしい曲から始めませんか? その方がみんな、リラックスし
て、楽しんで歌えます。」
「あ。あぁ。そうだね。悪い、大声を出してしまって。トイレもみんな、いっておきなさい。」
「ほ〜っ」あちこちから、溜息声が…… 。みんな、それぞれに休憩に走ります。
マグヌスは一目散にミーオの所へ!
ミーオは申し訳なさそうに「ごめんね。ぼくのせいだ」
「違う! 違う! そうじゃない。ミーオのせいじゃない! 」
マグヌスはどもっていません。チクチク瞬きもしていません。
何か、変化がマグヌスの中で起こったのかもしれません。
「そうじゃない。ミーオ! みんなと列に入って歌えないミーオにぼく、とってもわがままなお願いをしていた。
こっちの方こそごめんね。なんとか自分でしっかりしないと。」
ミーオはマグヌスの灰色の瞳をしっかり見詰め、
「マグヌス。あのね、ぼくの子守歌。讃美歌だったんだ。」
「ミーオのママ。讃美歌、歌ってくれたの? 」
ミーオは迷いました。校長先生の言い付け! “アンナさん以外とは家族の話はしない事”
でも……。お父さんとの大切な思い出、マグヌスにはきちっと話そう。
「違うんだ。お母さんとは、ずっと別れ別れ。お母さん代わりのお父さんが『キリエ』を子守歌に歌ってくれた。
ここに来て、『キリエ』をみんなと歌えるなんて。とても、嬉しかったんだけれど……」
「ミーオの子守歌が『キリエ』! じゃあ、ぼくも好きにならなきゃ。歌の言葉が外に出ていかない様に、鍵かけ
て歌うよ。ぼく! 絶対、口パクしないようにしてみる! ミーオの大好きな讃美歌をぼくが声を出して歌ってあげ
る。聴いていて! 」
「うん。」
ヴィルクリヒ先生が、「さあ。集合! みんな、並んで。」
マグヌスは自信たっぷりに戻って行きました。
窓の外は……。大雨、風も吹き荒れて、遠くの方では雷がゴロゴロ、ピカピカ、光っています。
その嵐が間もなく、このホールに押し寄せて来ようとは。
今は、誰も想像出来ませんでした。
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