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アンナのお部屋は……、小さくて、可愛くて、刺繍やレース編みの小物が沢山飾ってあります。お花も、部屋
のあちこちに生けてあり、ミーオはスイスのお家を思い出します。
「アンナさん、手作り好きなの ? ぼく、こんなお部屋大好き ! 」
「ベットに並んで座りましょ。」
レースのベットカバーの上に、二人並んで座りました。
アンナは、ゆっくりと語り始めました。
「ミーオ、何となく気付いている ? リヒャルト……、本当の事を見抜く目を持っているの。」ミーオは、小さ
く頷きます。
「リヒャルトのお父様、ヴィルクリヒ先生と同じ音楽学校の先輩と後輩だったのよ。優しい方でヘルマンのこと
も、 とても可愛がって下さっていた。 ある日、そのお父様の親友が『事業を起こしたいから、借金の肩代わり
をして欲しい。』と、頼みに来たの。リヒャルトは本当の事を見抜く目で、彼が嘘を言っているって分かった。
そして、お父様を説得した。『借金の肩代わりになってはいけない !』」と。でも、お父様は息子より親友の言
葉を信じてしまった。
親友はお父様の名前で多額のお金を借り、姿を消してしまい……、
慎ましくお母様と三人で暮らしていた生活は一転、多額の借金に追われる日々と変わってしまった。
お父様は息子より友人を信じてしまった自分を責め、心の病気になってしまい、自らの命を絶ってしまったの。
残った、借金の返済は今も、ヘルマンと級友達で行われている。
リヒャルト今は、病院の婦長さんをされているお母様と二人暮らしよ。
沢山笑っていた明るい男の子は、笑わない心を閉ざした少年になってしまった。
ヴィルクリヒ先生はとても心配して、お母様を説得、このウィーン少年合唱団にリヒャルトを入れたの。自分の
目の届く所に置いて、あの子何とかしてあげたいと……。」
「アンナさん、ぼく……、大きな嘘をついてここに入学している。胸がムズムズするのは、嘘がばれそうになる
から? でも、本当の事は言えない。」
「リヒャルトは優しい子よ。弱い子、困っている子には必ず声を掛けたり、力になったり、手助けしたり。みん
なに慕われている。フェリックスなんて、神様みたいに思っている。
頭もいいし、歌も上手。でもね、笑わないの。
お昼の自由時間も、一人で図書館へ行って難しい本を読んでいるのよ。
でも、今日は違った。あなたのレッスン室に顔を出して、あの子の心に何か変化が起きたのね。」
「ぼくに本当の事を言って欲しいのかな ? “私は女の子よ”って、そんな事絶対言えない ! 」
「そうじゃない! そうではないの。”歌が大好きで、舞台で一緒に歌いたい ”あなたの純粋な気持ちがリヒャ
ルトには痛いほどよく分かるんだと思う。同じ、音楽を愛する仲間として。
女の子なのに男の子でいるってとても大変よ。
リヒャルトはあなたを男の子と思い通そうと、している。だから、あなたの力になりたいのね。
彼の気持ちを分かってあげて。あの子に甘えればいいのよ。お友達として。」
ミーオの気持ちがす〜っと、楽になりました。
「ありがとう、アンナさん。ぼく、普通にしてればいいんだね。」
「そう言う事よ。寝室まで送るわ。遅くなってしまった。」
ミーオは、扉の前で 「ぼく、この学校に入学出来てよかった。歌だけでなく、リヒャルトやフェリックス、フ
ィリップ、マグヌス、お友達と出会えた事がとても嬉しい。もちろん、アンナさんにも……! 」
アンナは優しく頷き、「ミーオ、こちらこそ。ウィーン少年合唱団に来てくれて、ありがとう。」
二人は、お休みの挨拶を交わし、ミーオは静かに寝室の扉を開けました。
ポケットの中のユリウスの香りのクリームをたっぷり手に塗り込み、扉の近く一番端のベットへ潜り込みました。
ふっと、横を見るとマグヌスが「どうだった ? 試験。」 ミーオは、両手の親指と人差し指で、丸印を作りまし
た。「おめでとう。」 「ありがとう。」
「今日も、一日楽しかったよ。お母さん、おやすみ。」ミーオは胸に手をのせ、眠りの世界へ入っていきました。
8月13日
ウィーン少年合唱団、3日目。
男子校の生活にもミーオはすっかり溶け込みました。
でも、ミーオは朝から考え事をしています。昨日のヴィルクリヒ先生の一言が気になって……。「ミーオ、それ
はもう……。」先生は何を言いかけたのだろう ?
“ぼくの声がみんなと違う? ”“女の子の声みたい”って、言いかけたの ?
“ここでは男の子。ミーナではない、ミーオの本物の男の子の声で歌わなければ! ”
少しの間だけミーオはミーナに戻り考えます。
お母さんのユリウスの声が戻るように治療を受けている、ソフィア先生に教えてもらった事。
「男の子の喉と、女の子の喉は違うのよ。だから、男の子には変声期があり、声変わりがあるの。」
昨日、みんなで発声練習をした時、フィリップとミーナの声が何となく違いました。
フィリップの声は優しく甘〜い声。ミーナはまっすぐ伸びる透き通る声。
喉の開きかたが違うかも知れない。喉を開きすぎずにしっかりお腹、腹筋をつかえばどうだろう?
ミーナでなく、ミーオにならないと。男の子の声でソプラノを!
今日も自由時間は校長室の隣のレッスン室で、ピアノと合唱曲の練習!
ミーオが扉の前に着いたとき、すでにリヒャルトとフェリックスが待っていました。
「今日は最初っから3人だね。」
そして、同時に言葉が重なりあいます。「何から、歌う ? 」 「やっぱり、野ばらかな ? 」 ずーっと、昔から
友達みたい。意見も、バッチリ! !
リヒャルトが、「この曲、本当は…、1番。僕、2重唱することになっていたんだ。」
「えっ、誰と ? 」
ミーオの質問には、お節介焼きのフェリックスが答えます。「相手の子、辞めたんだ。その子のソプラノ、フィ
リップと争うぐらい上手だったんだ。入学したときは……。でも、発声練習、いっつもさぼっていたから。ねっ、
リヒャルト。」
「そうなんだ。“発声練習なんて無駄!”なんて、口パクで声を出さずに怠けてばっかり。少しずつ、声に伸び
が無くなって、高音もお腹を使って出なくなった……。それを、ヴィルクリヒ先生のせいにして、“もっと、技
術的な難しい練習がしたい ”って 。僕との、2重唱が外されたときは凄かった。泣き出して……。」
フェリックスが続きを神妙な顔で語ります。「そう、そう。土曜日の帰宅の後、ここには来なくなった。なんか、
有名な音楽学校に転校したみたい。」
ミーオは、昨日のテストを思い出しました。あんなに楽しい発声練習が嫌いなんて、信じられない、と。
「ねぇ、リヒャルト。もし、ミーオの舞台が決まったら、2人で2重唱出来るんじゃない ? 」
「そうなったら、嬉しいね。ミーオ ? 」
「うん。じゃあ、今。1番は二人で、2番と3番は三人で歌う ? 」
「やろう。」 「やろう。」 三人の『野ばら』が、部屋いっぱいに響きました。
ミーオは昨日と少しだけ声の出し方を変えます。フィリップの様に喉を大きく広げず、しっかりお腹を使い、
“まあるく、優しいソプラノ。リヒャルトは昨日と違うと解ってくれるかな ? ”
歌い終わると、リヒャルトが 「ミーオの声、今日の方がいい ! これからは、その歌いかたにしたらいいよ。」
隣の校長室では、今日もアンナと校長先生がうっとりと、聴いています。
校長先生は思います。“男の子ミーオの完成だ”。
三人での合唱が終わったとたん、廊下側の扉が開き、フィリップとマグヌスの可愛い顔が覗きました。
「ミーオ……、ぼ……くの、お お気に入りの曲 、持ってきたよ。」マグヌスはその可愛い楽譜を、ミーオに
見せます。
隣で、フィリップがニコニコ笑っています。
「この楽譜、綺麗なカバーがしてある。マグヌスのとっても大切の物 ? 」
「うん、お お家に持って帰ってママにつけて、も……らったの。」
ミーオは、大切に受けとり、表紙をめくり題名を読みました。
『きらきら星変奏曲』その下に、ヴィルクリヒ先生の字で『Ah! vous dirai-je, Maman』(ああ、話したいの、マ
マ)
ミーオの顔からも、笑顔が溢れました。
モーツァルトの変奏曲に二つの題名。その意味をリヒャルトがミーオに説明してくれました。
「『きらきら星』の歌詞はこの可愛い曲に小さい子供達が親しみ易いように、新しく付けられたんだ。ずっと昔の
モーツァルトはフランスのシャンソンの歌曲を元に変奏曲を作っていたんだよ。
内容は、恋の悩みを女の子が母親に相談するって感じ !
♪ あぁ、話したいの、ママン……
私の恋の悩みをを 聞い〜って ♪ なんてねっ !
12の変奏曲から出来ていて、全部で12分ぐらいになるんだ。」
フェリックスがのりのりで、続きを説明。
「先生ねっ。この娘さんとアンナさんをくっつけて、新しい歌詞を作ったんだよ。二人は恋人同志だから。純粋
で、真っ白で、きらきらして、ロマンチックなんだよぉ〜も〜。
それを、僕達にいつも教えてくれるんだ。みんな、アンナさんが大好きだからバッチリ上手に歌える。
最近、歌ってないね。コンサートの練習忙しいから。」
「でも、僕とマグヌスは毎日歌ってるよ。昼休みに。ねっ、マグヌス ! 」
「うん。フィリップ、『きらきら星』はママの子守唄だったの。すーごく好き。アンナさん、ママみたいだもの。」
マグヌスはどもらずにお話ししています。きっと今、この雰囲気。 リラックスしているのでしょう。
ミーオは、楽譜を見てびっくり。細かい音符がびっちり。かなりのテンポアップの曲。でも、ゆっくりもあり、
各変奏がまるで、おもちゃ箱の中身の様に、可愛くて楽しい ! 曲の流れでした。
「ぼくのピアノで歌ってくれるの ? 」
「もちろん。」
4人のこたえと同時に、扉が開き、ペーターが「もちろん、もちろん。みんなで。」彼の後ろの廊下には、残り
の団員16人が勢揃いしています。みんなわくわく!
「でも、どうしよう。ここ、狭いね。」
そこへ、校長先生が登場。「ホールを使うといい。」
「やったぁー ! 校長先生、ありがとう。」
全員で、ホールへ移動することになりました。
校長先生はみんなの一番後ろから、アンナの手を引き、何やら小さな声で指示をしています。アンナは、頷き何
かを取りに行きました。
この時、この場にいない。あと一人は……。
この可愛いモーツァルトの変奏曲に、愛するアンナを思い浮かべながら詩を付けた、ロマンチストのヴィルクリ
ヒ先生は……。
自室にこもり、今夜行われるミーオのソルフェージュの、とびっきり難しいテスト問題をずーっと、作り続けて
いたのでした。
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