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8月12日、ミーオはみんなより2時間早く起きます。 音がたたない様にそうっと、ヴァイオリンを持って
抜け出します。
更衣室でみんなと同じセーラーの制服に着替え、鏡の前に立ちます。
菫色のぱっちりした大きな瞳、ふっくらピンクのほっぺ。頭は……、長さ3センチのジョリジョリの坊主 !
すっかり男の子、『なんか変な感じ……、まあ、いいや。』心の中でつぶやいて、すぐに鏡から目を逸らし、
中庭へ。
外灯に照らされた一画、アンナは楽譜スタンド、小さな椅子も用意してくれていました。
ヴァイオリンは椅子の上に、何だかすぐに練習するのって、もったいない。
ミーオは朝が好き、それも早い朝が ! 頭の上で手を組んで思いっきり、深呼吸〜!
気持ちいい。緑も一杯。足元を見ると、芝生に混じって、あっ、“ 白ツメグサ ”
幸せ、こんなに素敵な所で弾けるなんて !
そう、思いながら、ヴァイオリンを構えました。
ミーオには素晴らしい特技がありました。一度聴いた曲、演奏した曲は、スーと、体の中へ入って行き一度
で覚えてしまう。そして、何度か繰り返し練習して、細かい所も完璧にミーオのものになっていくのでした。
ミーオの体の中はいつも音楽で、満ち溢れています。
音楽が大好き。歌うことも、演奏することも、もちろん聴くことも。今は、その世界にいる。憧れの、ウィ
ーン少年合唱団の中に、歌の大好きな少年達と一緒に生活している。
その喜びが今、ヴァイオリンの音色に表れています。
3つのテストに合格して、みんなと舞台に立てた時、歌う歌!
一曲目から最後の曲まで、一気にヴァイオリンを演奏するミーオ。
小さな手が魔法の様に、動いていく。 自分でも不思議、こんなに弾いても疲れない。
丁寧に、心を込めて、作曲した人の気持ちになって、曲のイメージに合わせ。
ミーオは思いっきり楽しんで練習します。だって、自分のヴァイオリンの音が一番、好きだから !
そんな様子を、一人の男性が、校長先生が見つめていました。
『もしかしたら、すごい子を預かってしまったのかも。彼女いや、彼ならやり遂げるかも知れない。短期の
レッスンで、舞台に立つ最初で最後の歌い手に ! あの子の直向きな姿勢を見ていると、叶えてやりたい。』
不思議な気持ちになって来るのでした。
ホテル ザッハーの3階の一室で、机に向かい合っていたユリウスは、手紙を書き終えました。そして、
出来上がった手紙を夫のアレクセイに見せます。
受け取ったアレクセイは、頷きながら読み終え、「なかなか、いいんじゃないか ? 」と、
その手紙を封筒に入れ、宛名を書きます。
その手紙を受けとる人物は、ヨーゼフ シュニット神父 ウィーン少年合唱団の校長先生です。
二人の愛する一人娘が、短期入学でお世話になっているお礼、くれぐれもお願いします。と、いう内容で
す。
昨日のお昼過ぎ、一人の女性が“ミーナの事で、大切なお話しがあります。”と、突然ここに現れました。
“ ウィーン少年合唱団へ男装して短期入学して、テストを受ける。それに合格すれば…、16日の舞台で歌
える。 ミーナはそれに、張り切って挑戦しようとしている。
どうか、彼女の願いを応援してあげて欲しい。”女性の目は、真剣でした。
“ミーナなら、きっとやり遂げる ! ”その言葉を信じ、二人はその女性に全てを任せることにしたのでした。
でも、親として放っておくことは出来ません。お母さんのユリウスが挨拶に行くことになったのでした。ユ
リウスは、訳あって声が出ずお話が出来ません。その為に、手紙を書き校長先生に読んでもらうことになっ
たのです。
スイスの女学園では、父兄会にはいつもアレクセイが参加していました。でも、“今回は
どうしても、自分が行かなくては ” と、ユリウスがアレクセイにお願いしたのです。
“男装している娘の気持ちは、自分が一番分かるから… ! ”と。
今日はこれから、イザークと三人で早め昼食を取り、ユリウスはウィーン少年合唱団の学校へ、アレクセイ
とイザークはウィーンの街を散策、夕方にユリウスと合流して、ウィーン・フォルクスオーパーでオペレッ
タを観賞するという、予定です。
昨夜から、アレクセイは元気がありません。愛するミーナの事が心配で、心配で、あまり眠れていない様で
す。
ユリウスは、アレクセイの為にもきっと元気であろう、ミーナの様子をしっかり見て来ようと、思いました。
トン トン トン ドアーをノックする音が、 イザークがやって来た様です。
アレクセイが扉を開け、ユリウスも横で一緒に出迎えます。
「少し早かったかな ? 家に一人いても、なんだかね〜。 ユーベルは昨日からそわそわして、今日も朝から
出掛けて行ってしまった。『何をしているんだい ? 』と、聞いても『秘密 ! 』僕一人、置いてきぼりなん
だ。あれぇ、ミーナもいないの ? 」
「俺は、ミーナが何をしているか知ってるぜ。ミハイロフ一家に隠し事はなしだ。なぁ、ユリウス。」 ユリ
ウスは何度もうなづき、ニッコリ笑顔。
イザークは、ここでも何だか空しい様な、寂しい気持ちに。
「ミーナは今、ウィーン少年合唱団に短期入学している友達の応援に行っているんだ。
その友達がとびっきり歌が上手で、なんか3つのテストに合格したら、16日の舞台に立てるそうなんだ。な
ぁ、ユリウス。」
思わず、イザークが吹き出します。
「なんだ、それ ? そんな事はあり得ないよ。絶対に。彼らは名誉ある”ウィーン少年合唱団 ”一期生なん
だよ。去年、応募があってその試験に見事、合格した20名だ。1年間歌の勉強、そして厳しいレッスンをや
り遂げたご褒美が、16日の第1回コンサートな訳なんだよ。どんなに歌が上手でも、短期入学の生徒に舞台
を踏む資格はない。何を言っているんだ。アレクセイ ! ハッ ハッ ハッ …」
ユリウスは、目の前が真っ暗になりました。”ミーナはこの事を知っているの ? 頑張っている娘の頑張り
抜いた結果が裏切られる。絶望、悲しみ…、そんな事があってはならない”
アレクセイを見ると、彼も取り乱していました。
冷静なのは、相変わらず、回りの空気の読めない、のんきなイザークのみ、
「その、短期入学した子も、何も分かっていないお坊っちゃまなわけだ。」
「もう、それ以上喋るな ! イザーク ! 」
とうとう、アレクセイは爆発しました。が…、すぐ冷静に「すまん」
暫く、部屋の中が沈黙に、
「ちょっと、ユリウスが急用を思い出した。昼めしは俺とお前の二人でしようぜ。今夜のオペラも男二人だ。
なぁ、ユリウス ? 」
イザークはまたまた、蚊帳のそと。一人ぼっちの虚しさの中にいます。
初恋のユリウスとお昼ご飯、オペラ観賞。アレクセイはおまけとして、昨夜から楽しみにしていたのに。
”どうして、いつも僕はこうなんだ ”
「イザーク、すまん。ちょっと俺たち二人にしてくれないか ? ロビーで待っていてくれ。」
「いいよ。アレクセイ、こういう仕打ちには慣れている。」
イザークは一人、しょんぼり出て行きました。
再び、二人っきりになりアレクセイはユリウスを抱き締めます。
そして、「手紙、書き直してくれるかい ? 」
ユリウスはアレクセイの目を見詰め、深く頷き机に向かいます。
「何だか、イザークには悪いことをしてしまった。彼の余計な発言のおかげで、ミーナの悲劇は防げそうだ。
彼をロビーで待たせるわけにはいかない。俺は出掛けるが、ユリウス頼む。くれぐれもよろしくと、神父様
に伝えてくれ。」
そう言い残し、アレクセイは出ていきました。
『3日間のテストに合格しても、舞台に立てなかったら…
あの子は、とても傷付くだろう ! そんな事はあってはならない。 親としての気持ちを伝えなくては。』
ユリウスは、心を込め我が娘を大切にする気持ちを、文章に綴りました。
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