「決して難しいことじゃないわサーシャ。一言、一言煽ればすべてはかたが付くのよ…戦争に疲れ革命に逸り、誰も
が血に飢えているわ…聞こえるでしょ、サモスードの声が? ひとはこの街では簡単に死ぬ、そうでしょ?あの女は
ドイツ人よ…ドイツのスパイだと、人望のある若者を敵側に引き込んだスパイだと、そう言えば誰だって信じるわ…
だってみな、信じる相手と同じくらい、疑う相手を探しているのよ…サモスードに遭うのは泥棒じゃない、泥棒だと
疑われた人じゃないの?」
「スパイを殺せ、と?」
「そう、そういうだけですべては終わるわ。誰だって英雄気取り、裏切り者を処刑して誉めそやされて、大物気取り
に浸りたい、油をかけた薪のように燃え上がるのが楽しみでうずうず、いらいら、わくわくしてるんじゃなくって?」
「それだけのことだと?」 
「それだけのことじゃないの、ゴロハヴァーヤ通りでサモスード、新聞記事にもならないわ。一言、一言スパイだと
叫ぶ、それだけで少なくとも1人が死んで、2人が幸せになる」                       
「ねぇ、やっぱり考え直さないか? 出てゆく国に、汚点を残すことはないじゃないか」
「ああ、サーシャ! 理屈はたくさんよ! じゃあ私が行くわ。私の復讐は私がする。死んだって構わないわ。そう
ね、あなたと駆け落ちなんかするより、あの女と刺し違えて死ぬ方がずっとマシかもしれない。結局あんたと私は別
の場所に住んでいたということね、あたし見届けたいっていわなかった? あたしの復讐よ! あたしの恨みよ! 
ええ、こんな簡単なことができないわけがない! こんなこともできない弱虫と一緒になんてなりたくない!」
「ヴァシリエフスキー育ちのお嬢さんが、そのドレス姿であいつらの前に出て何を話す気なんだ! 仲間だなんて思
われるもんか、何を言っても説得力なんてない! サモスードに遭うのがオチだ!」
「イヤ! イヤだってば! なんであたしが引き下がらなきゃならないのよ! あの女がぬくぬくと幸せなのに! 
もうすぐ出ていくんでしょこの街を…生まれ落ちた国を離れて出ていくことを思えば、ほんのすぐそこ、ゴロハヴァ
ーヤ通りで望みがかなうのに!」
「…ここを、出るな。僕が行く」

――もはや否やは申しません。あとはただ、血祭りの、
   場所をしっかと確かめておきたいだけだ。   
 (第4幕第3場)

「一緒に、来てくれるね、ここを出て」
「誓う、誓うわサーシャ…。あたしの憎しみを認めてくれたんだもの…愛することも憎むことも、誰かの死を望むこ
ともできるあたしを…」
「終わったら、ここを出よう…フランスに行く。旅券もある」
「あたしの準備は任せて頂戴。パパはあたしのことよっぽど何も分かってないと思ってるんだわ…旅券のありかなん
かちゃんと知ってるのに」
「気取られないようにしないとね、テレーズだっている」
「難しくないわよ。テレーズはパパにしがみつくことしか考えてないもの。嫌な女、パパと出来てるのよ、あいつ」
「いいね、僕が帰るまでここにいるんだ。裏口は君が開けてくれ。約束だ」
「あたしたちの初めての約束ね…あなたはあの女の命を、あたしはあたしの命を。サーシャ、お願い、約束を…あた
したちをずっと一緒にする約束よ」
「結婚の約束だね。君の見たいものは、僕が見届ける。それが僕の誓いだ」

――あなたの敵はすべて、このわたしが血祭りにあげてやる、
  だから、どうかこの心尽し、認めてやっていただきたい。
(第4幕第3場)

「お嬢様はなんと?」
「興奮して疲れたらしい、もう休んでいるよ。気にすることはない」
テレーズは、つとこちらに身を寄せて、上着の襟に絡んだ金髪を取りました。
「気を付けて」
ぐっと見上げる瞳に粘りつくような色香がありました。シューラの言ったことが頭をよぎり…相手が伯父かどうかは
別として、からだを張った生活をしてきた女なのだ、と分かった気がしました。取った金髪を、テレーズはすいと投
げ捨てました。

出入り商人たちが使う通用口から出ました。上着を脱いで、そばにかかっていた下男の鳥打帽と中古の軍用コートを
身に着けました。ゴロハヴァーヤ通り、旧ミハイロフ侯爵邸。アレクセイのドイツ人妻が夫の祖母と暮らす家の前に
は、既に人だかりが出来ていました。私は叫んだ気がします。でも、他の誰かの叫び声を聞いた気もします。ピスト
ルを撃ったかもしれません。でも、周りでもてんでに銃声がしていました。奥までいかなかった、それは確かです。
ガラスの割れる音、何かを打ち壊す音、ひっきりなしの銃声、血と火薬の臭い、そして耳を覆いたくなるようなとき
の声…。

あなたにはわかってもらえない、と思っています。非難されることだと分かっていないわけではない。けれども、あ
の頃には、たくさんのヨーロッパの若者がその手で人を殺し殺されていたのですよ、私の世代の多くの者たちは…。
おそらくあなた方は、それを卑怯な考えだというのでしょう。ええ、分かっているつもりです…。

――ここはどこ? 何をしてしまった? 今しなければいけないことは何?
自分で自分が分からない、この狂おしい思いは? 身を掻きむしるこの不安は?
物に憑かれたように、あてどもなく、わたしは宮殿のうちを走りさまよう。
ああ! 愛しているのか、憎んでいるのか、それさえ知ることができないのか?
     (第5幕第1場)

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