弁護士には守秘義務というものがあると伺いました。言うなれば、そう、懺悔を聴聞する僧侶のようなものだと……。
――わたしは、ここを発つ時に、エピール全土を悲しみの淵に沈めてやりたい。
とにかく、恨みを晴らして下さるというのなら、時を移さずお果たし下さい。
(第4幕第3場)
「シューラ、ちょっと落ち着きなさい。まだ熱でもあるんじゃないのか、ひどく震えているじゃないか」
「落ち着いてるわよ、これ以上ないくらいに。こんなに落ち着いていたことなんかなかったんじゃないかしら」
「じゃあなんでそんなに震えているの?」
「……震えてる? そうかしら? そうなの? でも平気よ、ええ、これ以上ないくらいに。 それより答えて頂戴、 サ
ーシャ、一生一代の大事な質問なのよ」
「……今答えなきゃいけないかい?」「今答えて頂戴、今じゃないと駄目」
「シューラ、大好きだよ、大事な妹だ」「そんなんじゃないの、分かんないの?!」
どこかで……コロムナ地区か……銃声がした。一発、さらに数発。
「ねぇサーシャ、お願いよ、あたしたち、この先どうなるかがかかってるのよ、ねぇ、どうなのサーシャ?」
川風が怒号を運んでくる。サモスードなのか、もう日常茶飯事の?
「ねぇサーシャ、だからあなたに会いたかったの、他の誰よりも」
サモスードなのか? それとも暴動か? 動乱に麻痺した日々が終わりを告げるのか?
「シューラ」ああ、それとも革命か? ついに革命が始まるのか? それとも……もう終わってしまったとでも?
「ずっと君を見ていたじゃないか、伯父貴にこき使われても、台所のネズミみたいに扱われても。思い出したように家族
扱いするのは安月給の言い訳だと思っていても、もしかしたら跡取りとして君と結ばれるんじゃないかって、その望みが
あるからずっとここにいたんじゃないか、知らなかった? あのヴィテブスク駅に着いた時から君は僕のお姫様だった」
「じゃああたしの恨みを晴らしてよ、サーシャ。なら信じるわ、何もかも」
「恨みってなに?」「間の抜けたことを言わないでよっ! アレクセイ・ミハイロフよっ」
銃声がふと途切れた。
「アレクセイって……アルラウネの弟の? 君、まだ覚えてたの?」「愛してたのよっ!」
「だって、シベリアに送られたんだろ?」
「このペテルスブルクに戻っているの。妻と一緒にいるわ」
「そうなんだ……運の強い男だな」「運が強い? ああ、そうかもね、そうかもしれない」
銃声は止んだままだ。またいつものサモスードだったのか……どこの、誰が死んだのだろう?
「あのひとは、一生結婚しないって言ってたの。ドイツに恋人を置いてきたって……一生政治に生き、結婚しないつもり
だって言ってたの。なら、あたしも彼を見つめて一人でいようと思った。でも違った!」
「彼の妻って、そのドイツの恋人なの?」間遠な銃声が、また聞こえてきた……。
「……そうよ、しかも二人を結び合わせたのはこのあたし……彼女がロシアに来ていたことを知っていたのに……。ドイ
ツに帰るっていうから手を貸したのに……なのに……!」
「運命ってあるんだな」「運命って何よっ!」街は静まりかえり、彼女の衣擦れの音まで響くほどだ。
「じゃぁあたしの運命って? ひとくさり泣いてそれでお仕舞い? こんなの嫌、嫌だって抗議することもできないの?
あんた言ったわね、あたしと結婚できるかも知れないからってこの家に耐えていたって。あたしだって…耐えてきたわ。
アレクセイが生きて帰るかもしれないって希望があったから。ここにいれば…パパが政治家たちを集めている限り、また
会えることがあると思ってた。彼があたしを愛してくれなくったって、見つめ続けることで満たされるはずだって、そう
信じようとした。寂しかったけれど、我慢すればその甲斐はあるはずだって思ってた。そう信じることが恋だった……耐
えることで、幸せは大きくなるって。でもあの女と一緒にいる彼を見るのは……嫌よっ!絶対に! ……どうしろという
の、これまで耐えてきたことに利子がついて、あたしを押しつぶそうとしているのに……?」
「じゃあ君ももうこの家にいる理由はないわけだ。出ようよ、ロシアを」
「嫌っ! 離れないわこの家を……だってじゃああたし、いったい何のためにここにいるの?」
「でもここにいてどうするんだよ? そのうち革命が起こる、戦争だって」
「そうね戦争ね……でも、戦争がどうしたの? それもあたしの運命のうちなの?」
「アレクセイはボリシェヴィキにいるんだろ? 政治家なんて、失脚したらひどいもんじゃないか、君だって知ってるだ
ろ? この先なんて分かるもんか、彼の運命だって」
「そんなのは嫌」また遠い銃声がネヴァ川を伝ってくる。「え?」
「あたしはただ待っていた、だから駄目だったというの? あたし、彼やあの女がひどい目に合うのを見たい、今度は待
っているだけは嫌。この恋は無駄だったのね…でもあたしにとっては大事な時間だった。だから、この恨みも大事なのよ
サーシャ…革命や戦争に、あたしの代わりはさせないわ。そんな、なりゆき任せなんて…ねぇサーシャ、あたし何かをし
遂げたいと…ただ待っているだけじゃなくてこの目で結果を見届けたいって、こんなに強く思ったことはないわ。あたし
まだ震えてる? 自分の心臓の音が聞こえそう、自分の鼓動があんまり強くて体全体が耐えきれない、ほら、びくん、び
くん、って揺れているわ……」
「分かったから早く出ようよ、この国を。新しく大事なものを作ればいい」
「ああ、分かってないわサーシャ! このままロシアを出たら、あたしはただの負け犬よ。ここで想っていた、それは間
違いだった、ならここでそれをただしてゆく。あの恋に決着をつける。大事な思いだったわ、だから古いノートみたいに
ただ捨てることはできないの……だから、自分であのひとたちの滅びを見届けるわ、ねぇサーシャ、あたしたち亡命する
んでしょ? 帰らない覚悟でこの国を出て、そうでしょ?」
「それは……」
「ここにいることは、居続けることはできないのねサーシャ……ちっちゃなサーシャの思い出も、アレクセイを思ってた
日々も、ここに置いていくしかないのね? ならあたしに復讐をさせて頂戴、この街にあたしの刻印を残して頂戴。この
国を出る、その最後に、あたしは自分の意志を告げたい。この街に生まれて、この街で大きくなった。でもこの街のこと
は何も知らないまま、パパとママの大事なちっちゃなサーシャのまま、ヴァシーリィ島の中さえ知らなかった……初めて
だったわ、アルラウネさんみたいな女のひとも、アレクセイみたいな男の人も。ネヴァ河を超えて吹く風のような、二人
がいなくなって、あたしはもう一度あの光が見えないかと、パパの周りで目ばかり光らせて過ごしてた……そして初めて
なのよ、こんなにひとが憎いと思ったのも、神様やら運命やらに大声を届かせたいって思うのも! ちっちゃなサーシャ
じゃなくて、愛することも嫉妬することも怒ることも憎むこともできる! ああ、何だって出来そう……。この街を去る
前に、今のあたしをこの街に見せてやるの!」
「街を滅ぼそうとでもいうの、トロイのヘレネのように……」
「いいえ、あのひと……いいえ、あの女だけで十分、それで彼も破滅するわ。ああ、こんなことを考えられるのね、あた
しって!」ひとしきり激しい銃声がして、そして止んだ。
「いっそ何もかも滅びたらいいと思ったわ。でもそこまで言わない、たった一人、もしかしたら二人だけ。ねぇあたしだ
って望んでいいはずよ、誰もかれもが、パパだって皇帝だって、革命家たちだって何かを滅ぼそうと躍起になってるじゃ
ないの!」
「……君は何でもできるわけじゃない」
「できるわ、できるはずよ、お願いだわサーシャ……これが済んだら、あなたと一緒にこの国を出るわ。ねぇサーシャ、
あたしに証拠を見せて頂戴、あたしは資本家の娘……手形に裏書が欲しいの。あたしはアレクセイが憎い、彼の奥さんが
憎い、それだけじゃ駄目? サーシャ、同じ名前のあなた、あなたにも憎んでほしい、あなたは憎くないの? あなたが
見ていた娘がずっと見ていた男なのよ? 今でも思うの、このままこの街に居続けたら、あたしまた彼を恋してしまうか
もしれない……」
散発的に、あちこちから銃声が聞こえてくる……いったい何人の人間が、今日この街でひとの手にかかって死んでいった
のだろうか?
「……どうする、気なの?」
――身の破滅になろうとなるまいと、考えは一つ、恨みを晴らすこと。 (第4幕第4場)
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