――見えるものはただ、灰燼に蓋われた城の砦、                                                         
    血潮に染め変えられた一つの河、人住まぬ荒野
(第1幕第2場)

ええ、お話しするしかないようですね。正直なところ、思い出したくはない。私は大戦に従軍していません。妻を早
くに亡くし、シューラの弟もまだ幼かったため、伯父はしばらくのところ私を事業の右腕、後継者候補として扱わざる
を得なかった。全力で兵役を回避してくれましたよ。けれども、私も結局無傷ではすまなかった。自分の街、初めて見
た時には砂糖菓子の都のように思えたあのサンクト・ペテルスブルクが、私の戦場でした。
1917年2月、皇帝ニコライ2世は退位し、リヴォフ公を首班として臨時政府が成立しました。しかし、これだけでは済
まないと誰もが感じていた。伯父はこの頃には、メンシェヴィキの支持者としてそれなりの影響力を持つようになって
いました。皇帝退位を機に俄然生き生きと蠢いていましたよ。ケレンスキーが首相になれば俺は財務大臣だ、などと嘯
いていましたが、今思えばとんだ笑い話ですね……。                             
    とはいえ、市民生活の混乱はとんでもないことになっていた。市ドゥーマ(議会)と労働者・兵士が選出したペトロ
グラード・ソヴィエトの二重権力状態に加え、皇帝の走狗と見なされていた警察は真っ先に襲われて警察官は四散した
まま。大戦による総動員体制も破綻して最初から多くもない食料は騰貴し、さらなる儲けを目指して売り惜しみした商
店は略奪にあい、それを防ぐための民兵がまた略奪や暴行に走る。サモスード(リンチ)です。私たちも外出するとき
は3人以上で組み、必ずピストルを持ち歩いていました。そう、武器だけは豊富でした……戦争継続中ですから兵士は
自分の武器を持っていましたし、次の段階に備えて各陣営が戦闘準備をしていましたから。ええ、そうです、それを運
んでくるのが私たちの仕事でした。伯父は結局全陣営に武器を流してたんじゃないかな、知っていたかどうかは謎です
が。最大の利益を生むうえに自分の野心の道具にもなる武器の商売だけは、あの時分でも私に任せず自分で取り仕切っ
ていたんです。
シューラですか? 相変わらず屋敷の女王様です。伯父はとっかえひっかえ結婚を勧めたが、頑として受け付けなか
った。伯父もどこかでそれを良しとしていた気もします。怪しげな政客もどきが相手でも淑女然とふるまう娘は、うっ
てつけの女あるじだった。彼女がいると屋敷は優雅に、伯父までも紳士的な人物に見えましたからね。彼女は私より余
程伯父の政治活動に詳しかったと思います。伯父がときどき密会に使っていた郊外の別荘まで差配していましたから。
また、伯父が政治に深入りしたせいで、婿探しが余計にややこしくなった面もありました。自分が追い落とそうとして
いる当の貴族階級の若者か? まだまだ未知数の新進政治家の誰かか? どこに娘を嫁がせれば一番利益があり、また
当人のためにも安全なのか? 皮肉を言うのは止めましょう、伯父が娘を愛していたのは確かでしたから。娘が豊かに
安心して暮らせるように、という願いには嘘はなかったと思います。私ですか?……同僚たちは、私がシューラと結婚
して事業を継ぐのが当然のように話していました。でも私には分かっていた、シューラの眼中に私はないと……。
皇帝退位と前後し、シューラはいきなり体調を崩しました。結局そんな時も私は蚊帳の外でした……ヴァシリエフス
キー地区を一歩出ればそこは暴力の巷、一方伯父は精力的にマリンスキー宮殿(臨時政府本拠)通い。多忙な私をよそ
に、病気の姫君を擁し屋敷は帝政時代のまま優雅にひっそりと、孤独に、破局を前に身を竦めていたのです……。影の
ようにひそやかに、シューラを見守っていたのはあのフランス女、テレーズ・ジョベールでした。    

――ああ、何とも恐ろしゅうございます! お姫様、そのような平静なご様子!                
      どんなにかましでございましょう…
   ――来るように言いましたか、オレストに?      
 (第4幕第2場)

 「お嬢様がお会いになりますよ、サーシャ様」
「随分久しぶりじゃないか、同じ家で暮らしているのに?」
「……ええ、サーシャ様だけですよ、今お話しできるのは。お父上にも会いたくないの一点張りですもの……」
「いったい何があったんだい?」
「さぁ、今日は妙に生き生きとしておいでです」「お前にもわからないの?」
テレーズはいかにもフランス女らしく肩を竦めた。修道女のように地味ななりをしていても、そんな仕草をすると妙に
色っぽい女である。豊かな金髪と大きな青い瞳、シューラとは姉妹のようだと周りは言っていたが、実のところシュー
ラは彼女を軽蔑している。家庭教師なのに小間使い扱いして世話を焼かせたかと思うと、何日も口も利かないこともあ
った。
「今朝は小間使いのカーチカがお世話したんですが、その時お父上がマリンスキー宮殿から持ち帰ったビラの類をお見
せしたらしいんです」
「バカな小娘だ。そんなもの、病人の毒にしかならない」
「毒が毒を制したんでしょうか、でも今日のお嬢様はお元気を通り越して何かに憑かれたかのよう…こんなに明るい陽
が照らしているのにカーテンを閉め切ってランプを赤々と点けて、さっきまでは不思議なほど高らかな笑い声まで立て
ておられました……」
「笑い声? シューラが?」
「そりゃあもう、雲雀のように」「雲雀ねぇ」
「早くお行き下さいませ、またお気が変わると厄介ですわ」
「そりゃそうだ、僕だって暇な身体じゃないんだし」
実のところ、多忙どころのはなしではなかった。貿易の仕事のほかに、われとわが身を出国させる手配までしていたの
だから。
「それではよろしくお願いしますよ、サーシャ様」「身勝手だなぁ」
「お嬢様、マドモワゼル、サーシャ様がお見えになりましたよ」

……ドアを開けるとシューラが立っていました。髪を上げ、ドレスを美しく着こなし、首飾りまでつけて。ええ、今で
も夢に出ることがあります。あんなに美しいシューラは今まで見たことはなかった……そして……。

 「ねぇサーシャ、おしえて頂戴、あなた、あたしのこと愛してるの?」


――ああ、憎しみも抱かずにすますには、私は愛しすぎていた…        (第2幕第1場)



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