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想い出 1917年

なつ様
−1917年・ミハイロフ邸−
「ユリウス様!あと少しで終わりますので、じっとしていて下さいませ」
最近になり、何とかドレスは素直に着るようになったユリウスだったが、髪を結われることにはまだ抵抗を示した。
「もういいよ、これで」
「もう少しです。ほら、リボンを結べば終わりです」
侍女が美しい刺繍の入ったリボンを結び、二等分した髪を肩から流した。
「はい、結べましたよ!」
ユリウスは、鏡に映った自分の姿を真正面から見るのが恥ずかしかった。
ほとんど鏡を見ずに、侍女に聴こえないように呟く。
「リボン…いらないよ」
「ん?何か仰いましたか?」
侍女が眉間にしわを寄せ、怪訝そうに言う。
「何でもない。ありがとう、マーシャ」
心とは裏腹に、にっこり微笑んで侍女に答えた。
オークネフ同様、古くからミハイロフ侯爵家に仕えている侍女のマーシャは、当然アレクセイの幼少期を知っていた。
相当のやんちゃで手を焼いたことも…。
…小さかったぼっちゃまが、こんなに素敵な女性を選び、今、父親になろうとしている。
坊ちゃまから託された大切な人に仕えることが出来るなんて、私は幸せ者だわ。
マーシャにとっても、アレクセイの子を身ごもっているユリウスは、愛おしい特別な存在だった。
感慨深く思っていたマーシャに、ユリウスは思いもよらない事を言った。
「ねえ、マーシャ。ぼく、おかしくない?アレクセイに笑われたりしないかな?」
侍女は少し呆れた顔をして、美しい若奥様に進言した。
「大丈夫! とてもよく似合っていらっしゃいます。ぼっちゃまは、違う意味でユリウス様に微笑んで下さるでしょ
う」
侍女はユリウスと一緒に鏡を覗き込み、優しい笑みを向けながら言った。
ユリウスは、侍女の優しい微笑とその言葉に、何故か言いようのない懐かしさを覚えた。
しばらく何も発しない彼女を見て、侍女は不思議そうに声をかけた。
「どうなさいました?まだ何か心配な事でも…?」
はっとして、ユリウスは答えた。
「ううん、何でもない。ずっと昔に、誰かにこうやってリボンを結んでもらったような気がしただけだよ」
「まぁ!それはきっと、ユリウス様のお母様かも知れませんわね…」
…記憶がある限り、ドレスを着たのも、髪を結うのもこの館に来てからだ。記憶を失う以前は、男の子として育てら
れたと聞いてるから、多分髪を結ったり、ましてやリボンを付けるなんて事はしなかったはず…。
でも、「大丈夫、似合っている…」の言葉とともに、ぼくに向けられた優しい瞳…、以前にも誰かと同じ体験をした
事がある気がした。
もしかしたら、記憶を失う前に母さんが言ってくれたのかも知れない。
静かに目を閉じた。
霧のベールに包まれた、掴みどころの無い記憶を必死で手繰り寄せる。
石畳の街並み、着飾った人々の歓声、たくさんの露店、そして…。
…笑うようにドレスの裾をひるがえし、リボンが風になびいて、ぼくは嬉しくてしかたなかった。
…そんな事があったのかも知れない。
ドアをノックする音で我に返った。
「失礼致します。ユリウス様、アレクセイぼっちゃまがいらっしゃいました!」
オークネフがにこやかに夫の来訪を告げた。
侍女の誇らしい笑顔に見送られ、オークネフは若奥様の手を取り、アレクセイが待つリビングへと向かった。
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