作:胡ぼん様


兄貴の死をきっかけに、祖国ロシアからドイツにやってきた。                                                  
   エーゲルノフ教授の親族がいるドイツ。
そこで、クラウス・フリードリッヒ・ゾンマーシュミットという吊を吊乗った。
表向きは、レーゲンスブルクにある音楽学校の生徒だ。
幸い、おれのヴァイオリン技術は音楽学校の教授たちを驚嘆させた。
即、転入が認められ、学校の寮に入った。

初めての学校、始めての級友たち。
家庭教師しか知らなかったおれにとって、新鮮なことばかりだった。
多少堅苦しいこともあったが、生粋の貴族育ちでなかったおれは好き気ままに振る舞うことが楽しくて仕方なかった。

兄貴の婚約者で、おれの教育係でもあったアルラウネにとってはもどかしいことが多かったかもしれない。
それでも、おれは青春を謳歌した。大好きなヴァイオリンを弾き、有能な指導者に出会い、ばか騒ぎをする友達。
ロシアでは得られなかったものをどん欲に吸収した。

そこで出会ったのが、あいつだった。
おれの運命の恋人。
生涯忘れることのないただ一人の女。

ユリウス・レオンハルト・フォン・アーレンスマイヤ。                            
 
輝く金色の髪と碧い瞳。


 

出会いはお互いに最悪だったはずだ。                                                                        

あいつはおれを殴り飛ばし、ヴィルクリヒに水をぶっかけられ散々だった。                   

それ以降、何かとあいつが目についた。
輝く金色の髪、人目を惹く碧がかった青い瞳。しなやかな肢体。男にしておくにはもったいないくらいの美貌。それに
相反するようなけんかっ早い性格。そのくせ、ピアノは繊細で華奢な印象がある。

男だと思っていた、というより男子学校なんだから在籍している生徒は男しかいない。
はずだった。

カーニバルの日。

おれは同志に書類を渡す手はずになっていた。カーニバルの扮装をしたおれに接触する同志。
何かの手違いで、おれの扮装を誰かに取られてしまった。
それよりおれの心が揺らいだのは、ユリウスが舞台上でけがを負ったことだった。
劇中で使う予定の模造剣が真剣にすり替わっていた。右腕に傷を負ったユリウスは無理を押して残りの劇を終えパレー
ドに参加した。

おれは、予定のものを渡せず焦った。
学校の連中に会うと、ユリウスが誰かについて行ったことが分かった。

あいつめ、おれと勘違いをしてついて行ったようだった。

ともかく、傷を負ったユリウスを放っては置けない。
同志に渡す書類は気になったが、それよりあいつの方が優先されてしまった。

おれの扮装をした誰かとやりあいそうなあいつを見つけた。

腕をけがしているのに何やってるんだ。

おれが駆け付けると、偽のおれは逃げて行った。
が、それだけでは済まなかった。

「ばかたれ!!《

おれは叫んだ。
けがをしているのはもちろんだが、無防備について行ったあいつを咎めた。
が、それ以上に厄介なことが起こった。

ロシアからのファシストに見つかってしまったのだ。

逃げた、ひたすらあいつの手を握りしめて走った。
ここでつかまるわけにはいかない。
この時のおれは、あいつの傷の状態をおもんばかることができなかった。逃げることが精いっぱいで。

もう少しでまけそうなときに、ユリウスの身体がぐらりと倒れた。

「ユリウス……!!!《                                          

傷が開き、出血が著しい。
彼女の顔面が蒼白になり、意識を失った。                                  

意識のない彼女を抱え、古びた神殿跡にもぐりこんだ。
土気色の唇、浅い呼吸、手先が冷たい。
傷も包帯を巻いた下から出血している。
急速に体温が下がり、放っておくと心停止を起こしかねない。
少しでも体温を維持するために、素肌で温めるしかないと思った。

自分のシャツをはだけ、ユリウスを抱え上げた。                               
ぐったりとする身体を抱え、彼女の着ているものをはだけた。

そのとき、ありえないものが目に入ってきた。

真っ白い素肌は透き通るよう白く、柔らかなふくらみがあった。
おれは驚愕した。
どう見ても男のそれではない。
柔らかく盛り上がった二つの丘。

そうか、そうだったのか。

おれを追いかける瞳。おれを想う心。おれを……                               
  
おれ自身、おまえから目が離せなかった。

おまえは女だったんだ。


 

おまえが女だと分かった日から、おれの心は乱れた。                             
かわいい下級生がしたって来たのならいい、適当にあしらえばいいことだ。
それは違った。
おまえは女だった。そして、そんなおまえにどうして惹かれているのか、おれ自身にも理解ができた。
異性が放つ魅力。惹きつけられるかぐわしさ。愛しいものを腕に抱きたくなる衝動。
若いおれにそれを御することはできないでいた。

かすかに触れれば、人目をはばからず抱きしめて、熱い口づけをしてしまいそうになる。
たとえおまえが嫌がってもその肢体をわがものにしてしまう。

それをしないためには、おまえを避けるしかなかった。
ことごとく避け、おれの視界に入らないようにする。言葉も交わさず、視線も合わさない。
授業すら同じものを取らない。露骨に嫌うように振る舞った。
おまえをずいぶん傷つけてしまった。

唇を噛みしめ、俯くおまえを横目で見ていた。

それなのに、おまえは……                                         
  
「初雪が降る頃にロシアに帰ります《

アルラウネからそういわれた。

本国からの帰国要請があり、おれの帰国は予定よりはやまることになりそうだった。               
それが夏の休暇の頃。

ドイツにいられるのも、気楽な学生ができるのもあとわずかだった。
なにより、あいつとの時間もそう多くない。
もっとも、おれはあいつを避けていた。女と分かってから、極力避けた。
自分の感情を抑える自信がなく、いずれいなくなる男を想うことなどないと思い込むようにしていた。
遠からず、あいつが男のふりをすることは困難になる。そうなったら、由緒正しいアーレンスマイヤ家の娘として嫁ぐ
ことになるかもしれない。

そうなったとき、おれはいない。

おれ以外の男のもとに……?                                        

矛盾する思いを抱えながら、おれの帰国は迫ってきていた。

あいつへの思いを断ち切れないまま、日々だけが過ぎていった。
帰国の日は迫ってくる。

夏の休暇が明けた。

アルラウネは気が付いているようだった。
それとなく、くぎを刺してくる。

おれに避けられてもあいつの眼差しは変わらない。                              

イザークにあいつが女だということを伝えた。
おれがいなくなって、あいつを守ってくれるのはイザークだと思ったからだった。

堪らない。

惚れた女をほかの男に頼むなど……                                     
だが、おれにできることは限られていた。

ある日、ダーヴィトとの練習を終えたあいつの座ったピアノの椅子に腰かけ、あいつのぬくもりを感じようとした。

おれのエウリディケ。

もし、おれが音楽の道に行くことができたのなら、間違いなくおまえをおれのそばに置いた。
おれと人生を共にするのはおまえだけだ。
だが、おれにはそれはできない。
どうか、幸せになってほしい。それがおれ以外の男とだとしても、おまえの幸せを願わずにおかない。

同志のアンドレーヴィチが川に浮かんだ。                                 
  ファシストどもの仕業だろう。
いよいよ、ドイツを離れなければならなくなった。

ダーヴィトに寮の部屋の鍵を預けた。戻ることはできないが、おれのことをあいつに伝えてくれるのはダーヴィトしか
いない。

拠点であるミュンヘンの屋敷に合流して、ロシアに向かう。
学校に退学届を出した時、校内を巡っていたおれはあいつに会った。
変わらず輝くような金色の髪をなびかせ、らせん階段の上にいた。

あばよ、おれのエウリディケ。

おれの青春。二度と戻ることない、聖ゼバスチャン。



続く