希望っ…?て ?



【 4 】



   遠い、遠い、アルプスの山々、そして空。世界を一つに繋げている空、赤く染まっています。         
夕焼け ! 明日も晴れね。西の方が朱色 ! 」ミーナが呟きます。                       
  そおっと肩に暖かい温もり「お母さんだ…」「おかえり。お買い物、ありがとう。」そっと囁く声。ウィーンの旅行
から帰って来て、少しずつ戻って来たお母さんの声。
「ただいま、お母さん。」 「ん ? 」 「ううん、いい。」 「ミーナ、ブーツがドロドロ。玄関を汚さないで。ブラシ
で綺麗にしてね。」「はーい。」足元を見ると、ユリウスはきちっと庭用の長靴に履き替えています。「きれい好き
なお母さん、大好きよ ! 」ミーナは駆けて玄関へ、サンダルに履き替え 「泥は明日落とそう。」古紙の上にブーツ
を置きます。
入り口には、ユリウスお手製のルームシューズ。キルティングで、中はボアー。お部屋を汚したくないユリウスのジ
ャポニズムから頂いたアイデア。手間だけれども、ミーナもアレクセイも協力します。
 小さいお家だけれど、玄関は広め。ハンガースタンドにコートを掛けて、洗面台へ急ぎます。ポシェットを肩から外
し、その中から巾着を取りだし、“ カシャカシャ ”にっこりしながら、小石達を一つずつブラシを使い綺麗に洗い
タオルの上に置いて行きました。「コレが最後! あっ、今日の緑のね。」タオルに沢山並べた小石の上に、ふわふわ
の新しいタオルを乗せ「早く乾いてね。」小さく呟き、自分のお部屋へ。ポシェットをラックに掛け、長い髪を束ね
居間へ。
ユリウスは裏庭への出口に腰を掛けています。横には大きな籠、中には、根っこ付きのダリアが山盛りに。
「あっ、ミーナ。お庭のダリア全部抜いたから。お母さんが球根を切るから、ミーナは綺麗なお花を分けて、お部屋
に飾ってね。」ミーナは急いで古新を大きく広げダリアを置くスペースを作ります。「はい。ダリア、夏から今まで
頑張って咲いたね。花は小さくなったけど、色はずっと綺麗なまま。お母さん。エプロン、どろどろ。」「球根の始
末をしてから、エプロンは後で新しいのに変えるから。ミーナは大きなタオルをお膝に置いて、お花を選り分けて。
ハサミで、手を切らない様に気を付けて。」
“パキン パキン。チョキチョキ。パキン。チョキン ! ”二人のハサミの音が可愛くお部屋に響きます。
「お母さんの音、ピツィカット ! ポキン ポコン パキンパキン。わたしの音は、チョキン チョキン チョキチョキ
チョン。二人で合わさったら、♪ ピツィカット ポルカ ♪ ポキン チョキン。面白い ! 」
「ミーナ。ふざけたら、危ない。可笑しくて、手を切りそう。ふふ ふっ。」
ミーナはニコニコしながら、枯れた葉っぱ、萎れた花を切り落としていきました。バケツにお水を入れ、スッキリ甦
ったダリアを ワサッ。「お母さん、こんなに沢山ね。綺麗。」
そして。お台所へ、お花を生ける花瓶探し。花瓶だけではなく、色々な容器に工夫して生けるのがミハイロワ母娘風
のこの家でのお花の飾り方。ジャムの入っていた小瓶、小さな硝子のコップ、ブリキのバケツ、ホーローのジャグ、
アレクセイが飲みほしたウォッカの空き瓶、これは二人の寝室用。
「この大きな青いジャグには、背の高い赤いダリアを沢山生けよう。暖炉の上がピッタリ、ハーブのミントも一緒に。
ねぇお母さん、お庭から取ってきて ! 」「はいはい。」ユリウスは切り取った球根をひとまとめに箱に入れ軒下へ。
そして、ハーブを摘みに行きました。
ミントを摘みながら、ダリアを根こそぎ取った土跡を見、「ここには勿忘草の種蒔きしよう。土を綺麗に消毒して、
ユーベルからのプレゼント、青紫の可愛い草花 “ 勿忘草 ” 」
居間では、ミーナがぶつぶつ言いながら、お花の置場所を思案しています。
「ホーローのバケツには、黄色とオレンジ色。置場所は居間の入り口のストゥールの上。残りの小さいのは、硝子の
コップ。暖炉の前のテーブルとわたしのお部屋、お台所の流し台にもね。」ユリウスは摘んできたハーブをミーナの
生けた後に差し入れ、形を整えました。
「後は、お母さんがお水を入れて。ミーナの置きたい場所へ飾っていくから、散らかっているのを綺麗にいておいて。」
「はーい。」ミーナは薄暗くなったお部屋に豆電球を”パチン ! ”と付け、お掃除。そして、ユリウスがあちこちに
花を飾ると、灯りと一緒になり、お庭の自然がまるで ! お部屋に入ってみたいになりました。
時々、ミーナの夢の中にダーヴィトのお祖父様の声が響くのでした。「別荘を大切に使ってくれてありがとね。」ミ
ーナはその声に答えるのでした。「いえいえ。お祖父様、もっともっと、暖かいお家にして行くね。」
「そろそろ。夕食の用意、ボルシチ煮込まないと。」ユリウスが呟くと、
「二人でするから、急がなくて大丈夫。お母さん、エプロンがどろどろ。新しいのに持ってくる。」
ミーナはエプロンを二つ持ってきます。ユリウスはミーナに着せてリボンを後で結びます。そして ミーナも、小さ
く屈んだお母さんにエプロンの袖を通し、リボンを結ぶのです。“ 一人で出来る事も二人でしよう。”ミーナはい
つもそう誘います。

女の子らしい仕草、言葉遣い、愛らしい笑顔、8歳のミーナはごく普通の女の子。 娘と一緒の生活が楽しくていつ
も笑顔のユリウスがいます。毎日、毎日。
そして。ある日、ある時、気が付きます。その。傍らに、もう一人少女がいる事を ! それは…8歳の少女ユリウスで
した。その子は。笑顔一杯、許されなかった、本来の自分を楽しんでいました。そして…8歳の少年ユリウスは、お
母さんユリウスの体の中からすーっと ! 出ていくのです。すると、少し体が軽くなります。そして。その中に、少
し軽くなったその分だけ。その中に、優しさが入って来ます。
自らの保身の為だけに、小さな世界で必死で生きて来た昔。今になって。感じ、気がつくのでした。周りの人々、マ
リアお姉様、ダーヴィト、イザークの自分に向けられて来た優しさを。今度はその人々に優しさを与えて行こう、女
性として。 もう一人、イザークの息子 ユーベルにも。 気を張ることなく、自然な形で。
それを気付かせてくれたのが娘、ミーナでした。こんな素敵な少女に育ててくれたロシアの人々…。ユリウスの心は
いつも感謝の気持ちで一杯でした。
過去は変えられないけれど、自分の心の持ちようで未来は変えられる。前向きに生きて行こう ! と、思っているの
でした。

ミーナは野菜をお台所の流しの横に並べています。
「お母さん、八百屋のおばちゃんが“ いつも お使い偉いねっ ! ”て、オレンジをおまけしてくれたの。」「おやお
や。今度、お礼を言っとくねっ。」

お台所の調理場の足元には長い踏み台が付いています。小さな女の子がお母さんのお手伝いが出来る様に。ミーナは
いつもその上に乗ります。そうすると背伸びしなくてもピッタリの高さ ! 台所の端に作られた小さな作業机、その端
には小さな洗面台付き。ミーナのお気に入りのコーナー。お引越ししてきた時も子供部屋にはミーナが使ってみたい
なーぁ、読んでみたいなーぁ。そんな物達が一杯用意してありました。ダーヴィトおじさんが お引越ししてすぐに
そっと、言い聞かせてくれた事。
「ミーナ、君が別荘の家に住む様になって“ 不思議だなぁ…”そう思う事が沢山出て来る。でもね、気にしなくてい
い。あの家を、そしてあの家にある物を全て、喜んで使ってくれる。それだけでいいんだ、ぼくはそうして欲しいん
だ。」
そして。ミーナは、美しい町にあるこの別荘の事が、暮らし初めてすぐに好きになりました。
「大好きなお父さんとお母さん。大好きな物に囲まれた生活。お家の中にいる時間が一番好き。ずっと、わたしが来
る事を待っていてくれたみたい ! な、ダーヴィトおじさんのお祖父様の別荘だったこのお家。おじさんに、わたし。
いつか、絶対にとびっきりの大きなお返しがしたい。わたしにしか出来ない事を。今はね、それが何なのかわからな
い。でも、約束します。それまで待っててね ! おじさん。」
「楽しみに待ってるよ。ミーナ。」

そして、そして、この別荘のお家には…。もう一つ、とっても大きな素敵な秘密がありました。それはまた、いつか
紹介して行きますね ! お楽しみに。

ミーナの並べた野菜、今夜の献立。ボルシチに使う野菜達。
別荘の本棚にあった『お総菜フランス料理』の中に載っていました。アレクセイはそのフランス風のボルシチが大の
お気に入りです。出来上がったら、いつもお隣のアンドレにお裾分けします。ミーナと大の仲良しのオスカルの愛す
る夫、アンドレに。
ボルシチ・ア・ラ・リュス。肉の旨味で野菜を煮込んだスープ、ロシアのシチュー。ビーツの赤い色が特徴。
お肉は牛肉、ベーコン、ソーセージ、 お肉が大好きアレクセイの為にいろいろ入れます。
ユリウスはお鍋にビーツを入れ 茹でます。
ミーナはにんにくを“ パーン ”叩いて潰します。お肉とベーコンを4〜5センチに切り準備を。「お母さん、出来た
よ。ビーツ、ザルに揚げてね。刻むから。」 「はいはい。」
ユリウスは厚ての深ナベにラードを熱し、にんにくを入れてぱあーっと香り付け、にんにくを取り出します。ここへ
肉、ベーコンを入れ、たっぷりの水で煮込みます。ソーセージは後から、このときは入れません。しばらくするとア
クが出て来ます。アクを取りながら肉が柔らかくなるまで中火で煮ます。水が少なくなったら途中で何度も足します。
お隣ではミーナは野菜の準備を。茹でたビーツをザクザク刻み、にんじん、じゃがいもは面取りしてシャトーにむき
ます。キャベツは六つ割に、タコ糸で軽くしばっておきます。
ユリウスはトマトを熱湯につけてカワむき、たねをしぼって。ミーナがそれをザク切りに、セロリは二つ割にして4
〜5センチの長さに切ります。今日はそれにかぶと大根も入れます。
「後は1時間ぐらい煮て、お肉が柔らかくなったら野菜を入れて味付け。ミーナ、やっぱり二人でしたらあっと言う間
に出来た。」

二人はその間、ユリウスは裁縫を。ミーナは学校の宿題をします。
暖炉の前のソファーには、ユリウスのバスケット。中には作りかけのネクタイがありました。
今年のクリスマス・イブ、アレクセイは初めて、自分の楽団でオペラを手掛けます。『ヘンゼルとグレーテル』 バ
ックの演奏を編曲、ピアノを中心にした曲想に。そのピアノをバックハウス氏にお願いしたいと、ウィーンヘ交渉に
出掛けました。そして「是非とも、一緒に演奏したい。」と快い返事をもらい帰って来ました。
主役のグレーテルはアレクセイの後輩、ロシアの出身のエレナ・ネトレプコが演じます。演出は彼女の夫、ダーリン
さん。
*オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 ドイツでは、クリスマス・イブに上演されます。ベースはグリム童話『ヘンゼル
とグレーテル』。でも、オペラはハッピーエンドで母親の残忍さが随分弱められています。         
  童話は継母で、一家の口減らしの為に子供達を森に捨てに行く様、父親にけしかけます。お菓子の家で魔女を殺して
戻ってみると、母親も死んでいた。と、いう事になっています。
オペラの方はごく普通のお母さん。
彼女が子供達を森へ追いやるのは思い通りにならない兄妹につい、かっとなったから。直ぐに後悔して夫と共に森へ
二人を探しに行き、最後はちゃんと再会します。
      ストーリーは平和な家族劇です。
そして、主役はグレーテル ! 活発で利発でとても大きな役どころです。最大の山場、3幕で、兄妹が魔女をかまどに
押し込んで殺すシーンのグレーテルの変貌…。エレナは特に熱を入れて稽古をしています。*          
バスケットの中の作りかけのネクタイは、バックハウス氏ヘの特別なプレゼントです。
ローザンヌの駅前、市街地の入り口の洋服店。アレクセイがオーケストラで指揮をする時の服はいつもここで作りま
す。
上質なオーダーメイドの仕立て屋さん。社長は本場イタリアのサルトリアの指導を受け、高い技術を修得。
上質な仕上がりに、着れば着る程に体に馴染んで快適な着心地に、アレクセイはいつもそれを上品に着こなし、時に
激しく、時に優雅に、指揮棒を振るのでした。
社長はいつも観に、聴きに、音楽ホールへ足を運んでくれます。
その仕立て屋さんにユリウスは、“ 大切な人に手作りネクタイをプレゼントしたい ! ” と、ひた向きに“ 作り方
を教えて欲しい ”と気持ちを伝えました。
店主は喜んで作り方、とびっきりの逸品が出来る様に丁寧に指導をしてくれたのです。
もうすぐ出来上がり ! ソファーの籠の中に入っています。
ミーナはそれが少しずつ出来上がっていく様を見るのが楽しみでした。
アレクセイは羨ましそうに、「次は おれに作って欲しいなぁ。」
「だめ ! 次に贈る人は決めてあるんだ。これはね、一つ作るのに手間がかかるから。ずっと、ずっと、先になるか
な ? 待っててね。」 いつも、そんな返事が。
ミーナは何となくわかります。「次のプレゼントはイザークおじさん。その次はダーヴィトおじさん。お父さんはま
だまだね。」心でそう思いクスッと、笑ってしまうのでした。
「ネクタイは後、もう少しで出来上がり。だから、今夜は。」呟きながら、寝室へ。男の子の編みかけセーターを持
ってきました。
ユーベルはクリスマス・イブ前に、バックハウス先生のお供をしてここ、スイスにやって来るのです。ウシーのこの
お家にお泊まりします。
バックハウス先生はお隣の、オスカルのセカンドハウスのお屋敷に泊めてもらう事になっています。
二人とも、それがとても楽しみの様です。
「ユーベル、大きくなったって。背が伸びたってお父さんが言っていた。だから、そのセーターもゆったりサイズね。
8月にウィーンでプレゼントした手作りブラウスも小さくなって、作り直したものね“ 継ぎ足し布が、パッチワーク
みたいで、オーバーブラウスで着ればいいよ。”って、バックハウス先生が言ってくれたって。喜んでいたって。い
いなぁ、ユーベルはどんどん背が伸びて、わたしはずっと一緒。ちびっこのまま、体育の時間も一番前のまんま。」

ミーナは食が細く、背がなかなか伸びず悩んでいるのです。
「お母さんはね、小さい時から、のっぽだった。ひょろひょろののっぽさん。同い年の男の子よりずっと背が高かっ
た。そうでなきゃいけなかったから…。どこから見ても男の子、ガリガリの男の子。ミーナの体つきがうらやましい
よ。ふっくらと、柔らかで、女の子らしい。どこから見ても、8歳の可愛い少女。
お母さんね。男子生徒として、ゼバス音楽校に転入してから、ピタッと 背の延びが止まったんだ。周りの男の子が
どんどん追い越して行く。気になるのはそればっかり、同い年の女の子よりはずっと背が高かったのに。相変わら
ず、体つきはずっとガリガリ。そんな風に暮らして行くうちにね、お父さんの事が大好きになって、ロシアまで追い
かけて行こうと、思ったのに格好は相変わらず男の子のまま。あんまり、長いことそうやって生きてきたから、女の
子だとか、男の子だとかいった認識さえなくなってしまった。心の中と外がちぐはぐに、胸の中がいつも、もやもや
していた。そんな気持ちを相談する相手もいなくって。
ミーナにね、初めて言えた。小さい時からずっと心に秘めていた気持ち、よかった。
ミーナ、背なんかいつか延びる、気にしなくても。女の子はね、ちっちゃい方がずっと可愛い。焦らないでゆっくり
大きくなればいい、女の子らしくね。
ユーベルは背がどんどん延びて当たり前、男の子なんだから。本物のね。クスッ ! 」
ユリウスは昔の自分とユーベルを比べ、最後に吹き出してしまいました。
ミーナはユリウスの目をずっと見詰めて、聞き入っていました。
「お母さん、ありがとう安心した。でも、お母さんも自信持って ! 今はとっても美人さんよ。それに、少年っぽい言
葉遣いも素敵。」
「そうかな ? あ りが と う。」ユリウスは複雑な気持ちでお礼を。
お互いに誉めあいっこして、変に納得する。母娘でした。

そして、ミーナは宿題を。ユリウスは、編み物に取り組みます。真剣に !
ユリウスはユーベルのセーターの袖付けを、袖山を身ごろの肩の中心に合わせまち針で止めます。もう片方の袖山も
同じ様に、右と左を間違えない様に。
そこまですると、台所へ。シチュウ鍋に水を足し、 にんじんとセロリを入れ、塩で味付けします。
再び、ソファーヘ、袖付けの続きを目の数を数えながら、見頃と袖をまち針で仮止めしていきます。指を中に入れ、
吊れていないか確めながら、まあるく綺麗なカーブになるように、左右の袖が同じ様に付いているか全体のシルエッ
トを机の上に置いて、よーく見詰め何度もやり直します。納得行くまで。とても難しい最後の仕上げ ! 声を出すと
集中出来ない !
ミーナの宿題はフランス語の文章を英語に。また、別の英語の文章をフランス語に訳す問題。とても短い文章、でも
真剣によーく考えながら、頭の中でまとめながら、文章を訳して行きます。
ユリウスは“ ちらっ ! ”と、娘の書く文字を見詰めます。女の子らしい丸みをおびた綺麗な字。
それは全て、ロシアで文字の書き方を教えてくれた、リーザのおかげでした。“上手に書こうと思わなくていいの、
心を込めて、相手が読みやすい様に心がけて書きましょう。初めはゆっくりと、正しい文字の形を覚えましょう。”
今もずっとその様に心掛けています。
「出来た。」ミーナは小さく呟き、お母さんを覗きます。ユリウスはまだ、真剣顔。
ミーナも慎重に「もう一回。間違えていないか、見直そうっと。」最初の一問目から目を通します。
二人の真剣な顔と仕草。とても、そっくり !
「今度こそ、出来上がり〜。」あらあら、声がピッタリと重なり “ クスクス ”“ クックックッ ”思わず、吹き出
してしまいました。

「シチュー煮込んでいる香りがお部屋にいっぱい。裏口開けるね、お母さん。」
「じゃぁ、暖炉に火を点そうかな ? 」「待って、火を付ける時は二人一緒よ。」「はいはい。」
二人はそれぞれに、お勉強道具、お裁縫道具を片付け、暖炉の前に、ユリウスがマッチをすーっと、槇に。後、マッ
チは洗面台へ “ じゅーっ ” ミーナはそれを見届けて、裏口を開けます。“ ふわぁ〜 ”ほんのり冷たい心地いい
風が頬を撫でます。
二人は夕食の続きに取り組みます。
ミーナは食器の用意。シチュウ皿、平皿にユリウス手作りピクルスを山盛りにスティックを差して冷蔵庫へ「あっ、
中を冷す氷が小さくなってる。でも……大丈夫ね、お母さん。」
「お父さんが買ってきてくれる。今夜に、きっと。」 「変なの。冷蔵庫見てないのに、タイミングよく買ってきてく
れるのね。」「あれはね、動物の勘だよ。絶対に ! 」「うん、野獣。」                   
         ミーナは心で思います。“今日は、シチュー! だから 絶対にあの台詞が聞ける。へんてこな二人が……、見れる。”
ウキウキ !
ミーナは大皿に温めるパンを並べ、シチューのスプーンをテーブルに置き、真っ赤なキャンドルをレース模様のクリ
スタルに入れ「お母さん、赤いキャンドルを灯してもいいでしょう ? 」テーブルの真ん中にセットしました。 そし
て、そして ! 可愛い小石を一つ、一つ、丁寧にキャンドルの回りにまーるく置いていきました。 「お母さん、“ 可
愛いねって ” 喜んでくれる。」口に手を当て、嬉しい笑いをこらえます。
ユリウスは鍋に、続きの野菜を。キャベツ、じゃがいも、ビーツを入れ。ゆっくりとかき混ぜます。「ソーセージは
まだ 一番最後、彼が帰ってきてから。」小さく呟きます。
道具を洗い、台所回りを綺麗にふきんで拭いていると……。
「ただいまぁ! 」アレクセイが氷を抱えて帰って来ました。一目散で台所の冷蔵庫ヘ一番上の棚へ「おっ、やっぱり
な。」満足げにニンマリ ニンマリ。
そして そして……。
ミーナは息を凝らし、二人に注目 !
ユリウスが「おかえり、仕事忙しいんだね。少し、やつれたみたいだ。お腹空いてない ? ミーナと二人で作ったシチ
ューがあるよ。」 「シチューより、おまえが食べたい。はは……。」
「あ…… はは……。」見詰め合う、二人。
ミーナは目を真ん丸に 「来た来た。野獣のお父さんと色っぽいお母さん。」そおーっと、そおーっと、トイレへ身
を隠します。ほんの少しの間、二人にしてあげます。誰が居ようと 堂々と熱々の仲良しをする両親、ミーナの憧れ !
5分と経たない短い時間、すると……居間から、アレクセイのバイオリンの音色が、必ずロシアの曲です。今日は♪
ヴォルガの船唄 ♪ ミーナは何食わぬ顔で、居間に戻ります。
ユリウスはうっとりと台所の流し台に背もたれして聴き入っていました。ミーナはお母さんの横へ、楽しそうに笑顔
で聴きます。
♪ エイコラ エイコラ
それ もう一度 もう一度 エイコラ ♪
アレクセイは体全体を斜めに揺らしながら演奏します。
*♪ヴォルガの舟歌♪ 昔々、船曳労働者達がリズムとりの為に歌った様です。
“ 舟曳き ”とてもきつい仕事。
ヴォルガ川の雪解けや大雨による増水で河を遡るのが難しい時期だけ、人力で船を引っ張ります。
アレクセイも昔、ネヴァ川で舟曳人夫達を見たのかも知れません。
そんな人々の姿、ロシアの芸術家と深く関わって伝えられています。*
バイオリンの音色もグラーヴェ グラーヴェ。

終りに近づき、リタルダントで 最後はレント レント のろく のろく消え入る様に……
二人は拍手の代わりに、両指を唇へ …、思いっきりの投げキッス ! お父さんは苦笑い。
いつも、こんな風。

「お母さん、ウインナー入れた ? 」「もちろん。もう、出来上がっている頃かな ? 」「じゃあ、お隣へ持っていか
なきゃ。」「お父さん、アンドレさんにお届け物を配達してね。」「おぅ ! 奴と、話したいと思ってたよ。任しと
け。」
ユリウスは手提げの紙袋に鍋しきを敷き、たっぷりのシチューの入ったお鍋を “ そおろっ ”と入れ、蓋の上に鍋
つかみを置き、アレクセイに渡します。
「熱いから気を付けて。」 「おぅ、前は火傷したからな。今日は大丈夫、アンドレにさんざん、冷やかされた。参っ
た。」「いってらっしゃい。」 「行ってきます。」
アレクセイは裏庭へ、二件の垣根の真ん中には 扉があります。行き来が自由。

ユリウスはパンの入った大皿をかまどへ入れ暖めて、グラスとウォッカをテーブルヘ。ふと、キャンドルと可愛い小
石に目が釘付けに ! 「ん ? 」 ミーナは得意顔で、
「あのね、あのね、お母さん ! いつも、いつも、お買い物の帰りにねっ、レマン湖の岸辺に下りて、綺麗な小石を探
して集めていたの。ねっ、ねっ、今日でね ! 沢山になったから ほら、キャンドルの回りに飾ったのよ。」
ミーナはユリウスの顔を覗き込み……驚きます。今まで見た事のない様な、怖い目 ! 唇を噛み締め、体が震えてい
ます。「ミーナ ! 寄り道はだめ ! 」怖い声。
ミーナは恐怖のあまり、体が固まってしまいました。
ユリウスは小さく屈み、そんな娘の目を見詰め……「無事に帰って来てくれて、良かった。」抱き締めました。ミー
ナの頭の中は 「 ? ? ? なぜ、なぜ、喜んでくれると思ったのに ? 」
「あそこはね、小さい女の子が一人で行ったら。とっても危険。堤防の階段はとても急! 足を踏み外したら、大怪我!
慎重に降りても、つるつる滑って、危ない。湖も、波が高かったら、波にさらわれて、溺れてしまう。ミーナがそう
なってしまわないで、良かった。」再び、強く ! 強く ! 抱きしめます。 そおっと、ミーナの顔を覗き混むと……
情けない顔でしょんぼりしています。そんな娘にユリウスは優しく。
「でも、小石はとっても綺麗ね。ありがとう、今度はお母さんと一緒にもっと沢山、集めに行こう。花瓶の下に敷き
詰めたり、暖炉の上に並べたり、ハーブの植木鉢に糊でくっつけたり、一緒にすれば楽しいね。いつも二人だね、ミ
ーナ。」「うん。ごめんなさい。寄り道はしません。初めて怒られた、お母さん。怖かった。」まだ、少し震えてい
る娘を、優しく抱き締め、背中を擦りました。……と、そこへ アレクセイが帰って来ました。
「なんだ ? なんだ ? 熱々のラブラブだ ! 今度はおれがトイレへ行くのかな ? 」
「プー ! 」ミーナは思わず吹き出して、「お父さん ありがとう。」
アレクセイの手には、ユリウスの渡した紙袋。中には、プリンと、お隣に咲いていたバラの花が入っていました。
「プリンはアンドレの手作り。バラの名前は、えぇっと ? あんなに何回も復習して覚えていたはずがぁ〜。」
「それね、お父さん。アンシュデック・ジョセフよ。フルーティーなティーローズの香り、沢山蕾が付いていて、き
っと寒くなっても最後まで咲き続けるねって、アンドレさんと話しているの。濃いピンク・オレンジミックスの色も
素敵 ! 大きな蕾が咲いたら、プレゼントしてもらう事になっていたの。」
「ティーローズの香り ? ? おれにはよく わからん。」
「お父さんの鼻、鈍いから 可哀想な鼻だから 。」
ユリウスが笑いながら、ミーナの作業机に花瓶を。アレクセイは、溜め息を付き、花を花瓶に挿しました。ミーナは
「ありがとう、お父さん。お母さん、プリンは明日の朝にいただこうね。」
アレクセイはテーブルの上に気付き 「おっ ! 今日は、赤いキャンドルか、リーザさんの。回りの小石はなんだ ?
お洒落じゃないか、ユリウスと一緒にレマン湖へ拾いに行ったんだな。」
「えっ ? 」
「あそこは、危ないからな。お父さんも一人で、階段から滑り落ちそうになった。でも、二人なら安全だよ。」
ミーナはちらっと、お母さんを見ます。 ユリウスはパン皿、ピクルスの小鉢、レモン水のコップをトレイにのせて
います。 ミーナはお手伝いにそれを受け取り、テーブルヘ。アレクセイが一つずつ並べて置きます。
「お父さん、キャンドルに火を点すから見ててね。」 「あいよ。」 ミーナは長いマッチ棒に“ シュッ ”そっと キ
ャンドルヘ・・・“ ポッ ” と、可愛い 灯りが点ります。
ユリウスがテーブルの上の豆電球を消し、シチューを持ってきました。
ご馳走が仄かにユラユラ、3人のお顔も揺れています。
「いただきます。」
アレクセイは 「よし。まずはこいつから、やっつけるとするか。」大根のスティックを取り“ カプッ ! ポキポキ
コリコリ ごぉーっくん ”「あ〜っ、旨い。」
ミーナも「よし。まずはこいつから、やっつけるとするか。」小かぶのスティックを取り“ カプッ ! ポキポキ コ
リコリ ごぉーっくん ”「あ〜っ、おいしい。」
2人はそろって 「次は お母さん、真似して。元男の子、ほら ! 」
ユリウスは無言でにっこり。笑い、きゅうりのピクルスのスティックを“ ぱくり ! しゃきしゃき サクサク コクン”
「お母さんの食べる音、可愛い !」 「この家では、ユリウスが一番お上品だ。」
アレクセイはウォッカを一口、「シチュー、うまそうだ。二人で作った シチュー。」 ゆっくりとスプーンですくい
大口あけて もぐもぐ
「あーっ、うまい ! 最高にうまい ! 幸せだぁ。幸せだなぁ。」

「えっ !」その時 !ミーナの頭の中に、リーザのあの言葉がよみがえります。

『 「ミーナ、希望って分かる ?」「希望・・・? て ? なに ? 」
「希望を持つ事はとても素敵よ。希望の向こうには必ず幸せがある。なに ? ミーナの希望。」
「いつか。いつか、遠くにいるお母さんとお料理を作りたい。」
「叶うわよ。希望を心にいつも持っていれば。」 』

「クリスマスにユーベルが来たら、レマン湖へ釣りに連れて行ってやろうと、思っているんだ。」
「いいね。沢山 釣って来て ! ミーナと一緒にお料理をするから。」
お父さんとお母さんの話し声、楽しそうな顔。

『本当にあった“ し あ わ せ ”希望がかなって、今 ! ここに』
大好きなリーザさん、素敵な言葉を教えてくれて、ありがとう。
次の希望……、何にしよう。あわてずに、ゆっくり考えよう。ゆっくり、ゆっくり。
ねっ! リーザさん。


これで 終り、おしまいです。 ミーナより