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希望っ…? て ? 2

【 2 】
鈴さま作
その赤ん坊は早産で、 小さく とびっきり小さな未熟児で 弱々しく力なく産声を上げることもできませんでした。身体はぐっ
たり、氷の様に冷たく、ぴくっ≪z攣を起こしました。しっかり者の看護婦はその子を取り上げ、先生の目を見て 悲しそうに頷
き。「ごめんね。」そう呟きながら、ソファーの上にのせ 急いで赤ん坊の母親のもとへ戻りました。
「どうして、こんなに出血するんだ。子宮を診る。身体を押さえて。」
看護婦は母親の身体を力一杯押さえ、先生は股を開かせ子宮を探り…
「あぁぁぁ ! あぁぁぁ ! 。」苦し気な声が部屋中に響きました。
「何をしてる。ガーゼとタオルを! 早く ! 」
「はい。」
今度は、うら若いフランス混血の美しい看護婦がそれらを両手に抱え部屋に入って来ました。彼女は「はっ。」驚き声をあげソフ
ァーの横を通り過ぎます。「赤ちゃん 血塗れ。亡くなったのね。」
痛みの余り気絶した母親から手を離し、ベテラン看護婦は先生に手慣れた手つきでガーゼを渡し、先生も手早く子宮の傷口を手当
てします。
若い看護婦は慌てて赤ん坊の所へ、固く絞ったタオルで血を拭きます。 手足に身体、首回りに最後に顔を。…とっ ! 赤ん坊の口
元が。「えっ ? この子笑った ? 」
看護婦は素早く首元に指を乗せ。“ トク トク トク ” 「脈がある。」叫びます。
「先生、赤ちゃん。生きてます。こっちも診て下さい。」
「その子はどうせ助からない。だからいいんだ。早く、もっとガーゼを。」
看護婦は大急ぎでガーゼを取りに行きました。
先生は唇を噛み締め自分に言い聞かせました。「あの子は死産だった。死産だったんだ。」彼は知っていました。赤ん坊に微かな
微かな息があったことを ! でも…
先生の頭からは数日前のユスーポフ侯の命令が !
「妊婦がいる。私の大切な女性だ。極秘にかくまっている 精神は不安定な状態。出産間近なんだ。もしも もしも 彼女と赤ん坊が
危険な状態に陥った時は、何があっても ! 優先的に母親を助ける様に。必ず ! 」
「あぁ、どうしてこんな身体で 階段から落ちたんだ。脈が弱まっている。マッサージする。」
「はい。」ベテラン看護師が横に。素晴らしい連携プレーでした。
若い看護婦は赤ん坊の額に手を乗せ。「どんどん冷たくなってる。でも、今は 頭の天辺まで ちゃんと血が通ってる。今なら間に
合う。貴女のお母さんには腕のいい先生とベテラン看護婦さんにオロオロしてるけど、優しいお手伝いさんが付いている。だから、
大丈夫。私は貴女を助けてあげる。」そう言いながら赤ん坊を毛布にくるみ、素早くそっと、部屋から出ていきました。
彼女の名前は リーザ。赤ん坊を大切にだっこし、病院へ走ります。「どうぞ。若先生が帰っています様に。」そう、願いながら。
病院にたどり着き、リーザは裏口から。同時に玄関が開き、若先生ともう一人彼の親友が入って来ました。それは、若先生ことピ
エールと、屋敷を出て来たリュドミールでした。
「この赤ちゃんを助けてあげて。」リーザの叫び声に二人は診察室へ。
リーザは ほっとして赤ん坊を若先生に差し出しました。優秀な若先生は状況を即理解 ! 若先生とリーザは清潔な白衣に着替え赤
ん坊と処置室へ入っていたのでした。
“ 産声を ! 産声を ! 二人はその思いを込め手当てします。先生はぐったりしている赤ん坊の頬っぺたを優しく“ パシッ パシッ”
反応がありません。優しく身体を擦り 再び少し強く頬っぺたを “ パシッ パシッ ”赤ん坊は手をグーに握り、父親ゆずりの鋼
の根性で。
「ほ ほ・・・ほギャー ! ! 」天をも貫く産声が病院中に響き渡りました。
リーザ、ピエール先生、リュドミール、三人は思わず「凄い子だ。」
リーザは直ぐに赤ん坊を産湯へ丁寧に身体を洗ってやります。
ピエールは待たせている、親友の所へ。
ピエールの父親は、先程赤ん坊の母親の手当をしていた医者。皆から“ 大先生 ”と、呼ばれています。そして 古くからユス
ーポフ家の主治医でした。そして ピエールは、”若先生 ” 。
ピエールとユスーポフ家の末っ子リュドミールは同い年 二人は幼き頃から仲良しで大の親友同士です。
ユスーポフ家を一人飛び出したリュドミール行くあてを迷い親友に先ず相談しようと、したのです。ピエールもリュドミールも心
優しく 真っ直ぐな青年。ピエールはリュドミールを親身に心配しここ、自分の病院に連れて来たのでした。
ピエールは屋敷を出て来たリュドミールの行く末に心を痛めます。お坊っちゃま育ちの彼はうねりの様に変わっていくこの国の新
しい波に希望を抱いているんだろう。気の荒い革命家達の外の世界で彼はどの様に生きていくんだ ?
ユスーポフ家の主治医でありながらピエールの父親、大先生はいつも貧しい下町の人々に目を向けていました。ピエールはそんな
父親と共に、貧しく治療費も払えない人々の病気を怪我を無償で診ています。病院へ訪れる人だけではなく町中へ足を運び。
貧しき人々を診察しながら 親子は疑問を持ち続けています。皇帝を将軍を力ずくで追い払い、手にはいつも武器を持ち裏切りと復
讐 権力でこの国のトップになった新しき指導者。 人が変わっても、労働者・兵士・農民が日の目を見ても、働き口さえ見付から
ない この貧しき人々に誰が手を差し伸べるのだろう ? 自分の思想に酔い高らかに演説するトップ達は本当にこの国一人一人 こ
の人達までの幸せを願っているのだろうか ?
全ての人の平和を願う親友は、籠の中から外へ飛び出し、思い描いていた世界との違いに押し潰されてしまう。
ピエール先ず彼を病院へ。じっくり相談に乗ろうとしたのでした。
「この子泣き止まない。お顔を真っ赤にして元気ねぇ。」リーザが嬉しそうに部屋へ。
ほっとしたピエールは 「母親は誰なの ? ええっと 君は…。」
「私 ? リーザ。ここに来てまだ 数日の看護婦です。この子のお母さん ? あぁ、お手伝いさんがそっと教えたくれたわ。ユスーポ
フ侯が密かにかくまっていた女性。名前は?ん〜?」
「ユリウス。」リュドミールが囁き。「そうそう、男の人の名前だったわ。あのお手伝いさん お喋りね。私が急いで部屋を出ると
きぺらぺら教えてくれた。」
「父親は ? 」リーザは頭を横に振り、リュドミールは唇を噛み締め “ 兄も姉も秘密にしていた。でも、僕は知っている。”
「誰 ? リュドミール ! 」 「あっ。あぁ、アレクセイ・ミハイロフ 多分、いや。間違いない。」
「 ! ! ! あの 罠にはまり、多くの兵士に狙い撃ち。血塗れになり ネヴァ川に落ちた アレクセイ。その時 泣き叫びながら 路上
に倒れた女性が、母親。」
「アレクセイが罠に ? 」 「君、知らないのかい ? 」
「うん。ずっと、お屋敷にいたから。でっ、死体は ? 」
「死体は上がっていない。消息不明。」
「! 消息不明・・・。ピエール、リーザ 聞いて欲しい・・・信じられないかも知れないけれど、遠い昔に兄から聞いた話。
相手の息の根を止めなければいけない。そんな 状況にある時、二つの作戦を持つことがある。と…
前者は確実に仕留める。白日の元に。その時は腕のいい。スナイパー一人 弾も一発 ! 頭を狙えばいいのさ。即死 死体を捜す手間
もない。
後者は秘密裡に相手を助ける。多くの兵士が駆り出される。彼らは兄の腹心で口は硬くそして優秀。そして一斉に相手に銃を向ける。
でも弾は、ことごとく急所を外し、血は多く出るが即死する事は絶対ない。安全な所へ追い込んで行く。そこには 相手の仲間が待
機ていると、信じて。今回は ネヴァ川。相手の運が強ければ助かる、そんな作戦。
今回 兄の取ったのは、後者の作戦。」
その間も、赤ん坊は泣き続けます。リーザは赤ん坊をあやしながら、
「リュドミール ? 私もそう呼んでいいかしら ? 赤ちゃんお父さんに会いたがってる アレクセイ生きてる ! だって この子。自分
の来た裏口じゃぁなくて ネヴァ川のある玄関見て泣いている。私が病院へ連れて息を吹き返し、貴方に会った ! これって大きな
意味があるのよ。この子が泣いている間はアレクセイは生きている ! 会わせてあげて ! 赤ちゃんをお父さんに。」
「リュドミール。この子を父親の元へ連れていく。屋敷を出た君の最初の仕事だ。それにしてもそんな士官学校の制服でよく無事で
ここまでこれたものだ。お坊っちゃま、早く 身支度だ。」
貧しい若い父親と生まれたての赤ん坊。変装の親子にピエールは 手書きの地図を渡します。「夜を迎え困ったらここへお行き。僕
の患者達がいる、優しき人々 きっと助けてくれる。リュドミール、忘れないで欲しい。皆、武器は持たないが心は強い。生きてい
く為に仕事を捜している。彼らに幸せを ! そんな心を持ち続けて欲しい。」
「ありがとう。」一言い残し。リュドミールは泣き続ける赤ん坊と町中へ消えて行きました。
リュドミールは赤ん坊をしっかり抱きアレクセイを捜します。「無理だ。さっきから同じ道をぐるぐる廻っている。何している
んだ。」太陽が西へ傾き始めました。「さっきのメモ。」ポケットから出したとたんに片手で摘まんだメモは風に飛ばされてしま
いました。
「何やってるんだ。あぁ…。」思わずしゃがみこみ泣いている赤ん坊を抱き締め。
と…! 肩越しにさっきのメモが 「若い親父さん、これだろ。しっかりしなよ。」
その男性はリュドミールを抱え、「日が暮れるぜ。とりあえず、家へ来な。」
“そんなに哀れだったんだ。僕。” 情けない気持ちで彼に甘える事にしました。
「ただいまぁ。」「おかえり! お父ちゃん。あっ、赤ちゃん、赤ちゃん。また増えた。」
女の子がリュドミールにまとわりつき、男性は赤ん坊を取り上げ、ソファーに座っている女性の所へ。その隣には乳のみ子が。お
乳の前におむつを替えましょ。」
ほぎゃ ほぎゃ°モュ赤ん坊をあやします。「あっ、女の子 ! いいなぁ 私の家は弟。」覗きこむ女の子。おむつを替えてもらい
赤ん坊はお乳を力一杯吸います。
テーブルの上のコップに挿した花、カタバミ。踏みつけられ、でも、それでも ピンクの可愛い花を咲かせる雑草。お部屋の中は塵
一つ無く清潔。産まれたばかりの乳飲み子の為、父親が母親に代わり掃除しているのでしょう。雑草の如く根強く、そして、心清き
人々。
リュドミールは「すみません。」メモを見せます。「そこ、この家の周りの地図だよ。誰か捜してるの ? 」
「はい。でも…いえ、ピエールに教えてもらい、泊まる所も無くて。」「あぁ、若先生の友達か? ここに泊まりな。」リュドミー
ルは感激の余り涙が… 「赤ちゃん泣き止んだら 今度はおじさん泣いている。」「すみません。明日 早いのでもう休みます。」驚
く家族をよそに、爆睡しました。
「ほぎゃ、ほぎゃ。」早朝、赤ん坊に起こされたリュドミールの足元には 布袋 ! 中には。ビスケット、おむつ、哺乳瓶にお乳がタ
オルにくるんで入っていました。手を合わせ「忘れない絶対。心優しき人々。」呟き、外へ。
ネヴァ川の遥か彼方、美しい朝日が昇ります! 涙が止まらずビスケットを頬張りました。
東・西・北・南。朝日の方角を頭に入れ、慎重に進みます。空き家はくまなく中を捜し。怪我した男性を尋ね。日が真上に、少しず
つ西へ。気持ちが焦ります。最後は当てなく歩きながらずっと泣き続ける赤ん坊に「涙が枯れるまでには捜すから。」語りかけ見る
と、頭を嫌々。
「こっち ? こっちかい ?」ネヴァ川に顔を向け泣く姿に赤ん坊が顔を向ける方へ進む事に。こっち、そしてあっちにいって曲がっ
てこっちへ鳴き声が大きくなり、「近いもうすぐお利口だ。こっちを真っ直ぐ、着いた。」その家を向き赤ん坊は泣いています。
リュドミールは扉をノック。女性がめんどくさそうに出てきました。
「うるさいねぇ、何 ?」後ろで男性が「なんだ ? 」「変な親子だよ。」「追い返しな。」「あぁ。」
扉を閉めようとする手を止めさせ 「ボリシェビキの仲間です。アレクセイは中ですね。」
「何言ってんだ。あんたぁやっつけとくれ。」「こいつ。」強烈なげんこがリュドミールを襲い“ バタっ ” 扉が閉まりました。
ヨロヨロよろめき「もう、無理か。アレクセイ !アレクセイ ! 」叫びながら横道へ泣き叫ぶ赤ん坊を抱き締め、ふらふら倒れそう
に。とっ、大きな腕が彼を支えました。
リュドミールは見詰めます。後ろで支えてくれた大男を大きな目で。
「あんた、ズボのおやじと同じ綺麗な澄んだ目をしてる。案内するぜ! その赤ん坊の父親、アレクセイの所ヘさ。オレの名はイワン
だ。お前は ? 」
大男はまだ リュドミールよりずっと、うら若い青年でした。
「ぼく ? あっ、リュドミール。」
「リュ ? ・・・。まっ、いいや。リュドで ! おい リュド、いいか。オレは転んだお前を助けただけだ。あの家の夫婦、怪しいん
だ。誰にも見付からず 連れていってやる。オレは右へ、 お前は左へ、1つ目の曲がり角で待ってろ。」
二人は別々に そして、誰にも見付からずに再び落ち合いました。
「君もボリシェビキの仲間 ? 」
「ボ・・・リュ ? 何だ、それ ? オレには 双子の兄貴の マクシムがいる。オレたちの命の恩人がズボのおやじさ。ズボのおやじ、
オレたち双子、3人だけが仲間さ。 同志 ? あぁ、おやじの仕事の奴らさ それ。兄貴とオレはおやじの紹介で同志の経営する宿屋
で母ちゃんと3人で働いてる それだけ。リュドは何してる ? 」
「ぼく ? ”ほぎゃ ほぎゃ”泣いてる、この子の父親捜しさ。大切な最初の仕事。」
「そうか、よく、泣くな。元気な赤ん坊 オレ、好きさ。」
「この子のお陰で、イワンに会えた。」
「あぁ。オレがおやじの右腕。マクシムが左腕。リュドと同じ。オレたちも おやじに頼まれた大切な仕事の途中さっ ! 」
双子がズボフスキーに頼まれた仕事とは…?
ズボフスキーは真剣な目で
「イワン、マクシム ! いよいよお前達二人に力を貸して貰いたい時が来た。俺の大切な友人を助けて欲しい。」
「友人 ? おやじの仲間はオレたち二人だけじゃなかったのか ? 」
「そうだ。二人と同じぐらい大切な仲間だ。イワン、マクシム ! 二人も友人だ。」
「よし。わかった、何をするんだ ? 」
「男の名は、アレクセイ。彼は絶対 死ぬつもりはない ! だが、危険が一杯の所へ一人で行く。女房と赤ん坊の所だ。」
「赤ん坊 ? 」
「そうだ。子供が生まれるんだ。死ねない ! 死なせない ! 助けなきゃならん ! あぁ。彼は絶対諦めない ! 何があっても 必死に
生きようとする。
だから!二人の力が必要だ。アレクセイから目を離すな ! 川と陸と両方で、この時だ ! と、思ったら助けてやって欲しい。だが
無理するな。自分の命は大切だ ! いいな ! 」
双子は何度もあそこへ行きました。あの建物の前へ ! ネヴァ川の中、建物の周り、細い小道、どこで倒れ様とも、素早く身を隠し
彼を救い出す。緻密な計画を二人、協力して立てました。
そして・・・ その日を迎えたのでした。
イワンとリュドミール、二人は倉庫の裏側へ。「ここ さっきの場所 ? 元に戻ったんだ。」
「リュド、身体を小さく ! 中に入る。そぉっとな ! 」
「ハァー ハァー ハァー。」赤ん坊は小さな息遣いで顔をグシャグシャに涙を流しています。「赤ん坊。お利口だ ! よく分かって
るな。」 波打ったトタンを外し 裏口が表れ、3人は中ヘ。そおっと イワンは裏口を元通り閉めます。 山積みの大きな木箱を1
つ退けると ! 秘密の部屋の扉がありました。イワンがそれに手をかけたその時…
赤ん坊は顔を真っ赤にし 手をグーに握りしめ 大きく息を吸い !
前日 ! 赤ん坊の父親、アレクセイ。罠と知りながら、命懸けで愛する妻の元へ向かいました。銃で狙われ射たれ血塗れ、”よろ
よろ”と、川に落ちます。
そこには、ずーっと待機していたイワンがいました。イワンが見詰めるのはただ一人、アレクセイ ! 素早くキャッチ。弾の届かな
い深い深い川の中へ、そして、一気に地上へと通じる抜け穴へ目にも止まらぬ速さで泳ぎ、川へポッカリ開いた秘密の通路。いえ、
実は水道管へアレクセイと共に入り、地上への出口へと進みました。 丸い扉をポンポンと叩くと! もう一人の双子の青年、マク
シムが地上で待っていてくれました。
アレクセイを大きなズタ袋ヘ入れ担ぎ、またまた目にも止まらぬ速さで、抜け道をまるで忍者の様に急ぎます。
倉庫の裏口に着いたマクシムは、静かに秘密の部屋へアレクセイを運びました。そして、そこには、ズボフスキーが待っていたので
した。 「でかした ! マクシム。」
アレクセイはベッドに寝かされます。「息がある。運が強いな ! アレクセイ。」
「おやじ。急所を外れてる。こんな 綺麗なかすり傷見たこと無い ! 弾も一つも貫通していない ! 凄い腕の兵士だ ! 」
「あの時もそうだった。“ 終身シベリア流刑 ”、本当は“ 死刑 ”だったはずが、減刑された。そして、今回も…ユスーポフ侯
爵… ユスーポフ。」
思案顔のズボフスキーを横にマクシムは手際良くアレクセイの傷の手当てをします。
「亡くなった、町医者の父ちゃんの手伝いがこんな時に役立つとはなぁ。こうやって、じいさんの、ばあさんの、ガキどもの傷の手
当てを毎日、毎日、してやった。
ズボのおやじよっ。これだけの傷だ。出血もかなりだ。早く、医者の所へ連れて行った方がいいな。」
それから、一夜明け。傷口を消毒し包帯を交えどもアレクセイの意識は戻らず ! 二人は焦っていました。
カチャッ ! 扉が開く音が。「イワンか ? 」それと共に “ ホッ ! ホッ ! ホッ !……”
アレクセイの意識は、暗い、暗い、闇の中をさまよっていました。 彼方から、懐かしい声が「坊や。愛しい坊や。やっと、来て
くれた。おいで。」 「ママ ? 」 「息子よ。会いたかった。こっちへ。」 「パパ ? 」「やぁ ! 兄弟。みどころのあるやつ。待
ってたぞ。」 「兄貴か ? 」「こっちの世界で デカブリストについて、語り合おうぜ。」 アレクセイは 夢心地です。
「 間抜けなアレクセイ。こんな罠にはまって! 私がもう一度教育し直してあげる。早くこっちへ。」「アルラウネ ! 」アレクセ
イが足を踏み出そうと…でも躊躇します、そこに道はありません。アルラウネ、断頭台に咲く花。「そうよ。奈落の底 ! 私の所
へ。」…と! 「なんのようだえ ! 手をお出し。」ビシッ ! ! 鞭が ! 「あぁ…うぅ…」1歩 2歩後ろへ…と ! 「ほ ほ…ほっギャ
ー ! ! ! 」後ろから、耳を貫く凄い泣き声が響き渡ります。振り返ると”ずーっと、ずーっと”、向こうの方に光が。「小さな可
愛いわたしのアレクセイや。こっちじゃないよ。ほうら!後ろだえ。あの声の、あの光の方へお行き ! 」優しく、 力強く、光の
方へ背中を押され…、と。
目の前に、懐かしい顔がありました。「ズボフスキー。」
リュドミールがアレクセイの枕元へ 「えっ ? 」
「ほら、貴方の娘さんですよ アレクセイ。貴方に会いたくて昨日から今まで 2日間ずっと泣き続けてきた。でも ! ほら… 今は、
自分の役目を立派に果たしたかの様に こんなに満足げに眠っている。誇らしそうです。すやすや眠っている。」
「こいつが娘! おれの…。あの凄い耳が潰れそうな泣き声の持ち主。おれをあの世から引き戻した声の持ち主。で、ユリウスは ? 」
リュドミールは唇を噛み締め俯き、重い空気が流れ。
でも、マクシムが沈黙を破り 場を和らげてくれます。「”ベチャベチャだ”、お顔。そおら、こうやって拭いたらべっぴんさんに
なった。」
「ありがとう、みんな。リュドミール、赤ん坊を俺の横に。」
「えっ ? ぼく ? 」
「おれは、忘れんぞ。助けてくれた者の、顔と名前は ! 」
「あぁ、はい。」リュドミールは赤ん坊をそっと寝かせました。
「傷が痛む。すまん、休ませてくれ。」“スースー…グーグー…”父娘の寝息が重なり、アレクセイは寝言を「ありがとうございま
す。お ば あ さ ま 。」
秘密の部屋に、平和な空気が流れました。
ズボフスキーは「ほーっ。」溜め息を。「仲間が増えたな。俺は、フョードル・ズボフスキー。」「あっ、リュド。 オレの兄貴
のマクシム・メリコフ。オレの自慢の兄貴だ。」「リュド、マクシムだ。」「おれも、リュドでいいかな ? 今、ここにいる仲間に
秘密は無しだ。自己紹介を頼む。」ズボフスキーに見詰められ。「はい。リュドミール・ユスーポフ、レオニードは兄です。それで
…。」
リュドミールは自分の生まれ、育ち、アレクセイとの出会い、悩み悩んで、進むべき道を決意した事、親友ピエールの病院で瀕死
の赤ん坊に出会い、赤ん坊の母親は兄レオニードが大切にかくまっていた女性。その父親が生きていると信じ、探し探して、イワ
ンと出会い、そしてここへたどり着いた事を語りました。と、同時にマクシムが、「ピエール兄さんがリュドの友達か? そこの大
先生、父ちゃんの知り合いだ。亡くなる時も世話になった。ピエール兄さんも大先生もオレたち大好きだ。おやじ、アレクセイをそ
この病院へ連れて行こうぜ。もっと早く気が付けば良かった。」
「あぁ、マクシム。だがな 今、夕食の時間だ。宿屋で母ちゃん一人でてんてこ舞している頃だ。早く帰った方がいい。今夜の仕事
が全て終った後 その病院へ二人して アレクセイと赤ん坊を連れていってくれるか ? くれぐれも先生達によろしくと伝えて欲し
い。イワン、マクシム世話をかけるな。」
「何、言ってんだ。オレ達、楽しいんだ。人の役に立つっていいもんだな。それにその相手が仲間の為だったらなおさらよ。」言い
残して 双子は出て行きました。
ズボフスキーはリュドミールを見詰めます。
「リュド。双子は同志ではない。母ちゃんを支えて汗流し必死で働いて暮らしている。普通の暮らしをしている。今なら、仕事を選
べる。ボリシェビキに入りたい ? まっ ! お前が望むなら、おれは口利きしてやれる。荒くれの男達の中でやって行けるのか ?
ん ? 」
「覚悟は決めています。」
ズボフスキーはリュドミールを抱き締めました。しっかりと…「暖かい。」リュドミールのはりつめていた気持ちが和らぎます。
「疲れただろう。宿屋へ行ってまずは夕飯だ。明日からの仕事の事も説明しよう。まずは 安全な仕事をな。今夜は宿屋で泊まれ。
だが、明日からの住む所は自分で捜すんだぞ。」
リュドミールの体が震えます。涙を流しているのでしょう。
“ レオニード侯爵よ ! あんたの弟は最後までおれが責任を持って守り抜く。安心してくれ。今日、やっと、謎が解けた。赤ん坊の
母親ユリウスを愛したんだな。だから、大きな心で何度となく彼女が愛したアレクセイを陰で救ってくれた。恩返しだ。心に誓う。
リュドミールの事はおれに任せなよ ! 」
“ ポンポン ”ズボフスキーはリュドミールの背中を叩き、二人は部屋から出て行きました。
部屋には静寂がずっと続き…アレクセイはそっと目を開けます。見えているのか 見えていないのか ? 赤ん坊の大きな瞳が見詰め
ます。
「よっ ! おれの娘よ。ずーっと、泣いて呼んでいてくれたんだな。”おとうさーん ”って、意志の強い子だ。んーっ、ミーナ…ミ
ーナにしよう。“ 愛 ”って意味もあるよ。決まったな、名前。お母さんに会いに行こうな。何処にいようとも ! 」
お父さんはドイツ語で語りかけます。
汚れを知らない美しく澄んだ目でしっかり父を見詰め、「クッ クク。」娘のミーナは赤ちゃん言葉で” はい ”と、答えたので
しょうか ? 。
翌日、早朝。リュドミールはネヴァ川に昇る朝日を見詰めていました。「毎朝、ここへ来よう 来れる日は。赤ん坊を抱いて ビス
ケットを頬張った昨日の事を忘れない様に ! 」
後ろに、人の気配が 「マクシム。」「気が付かなかったのか ? 宿屋からずっとつけて来たぜ。」「うん。分からなかった。昨日こ
この朝日を見ながら、”新しい人生が始まったんだなぁ”って、考えてた。」
「そうか オレ達と少し違うな。父ちゃんさ!下町の町医者で、毎日毎日自分の命削って貧しい人の診察してさ、とうとう亡くなっ
てしまった。 オレは父ちゃんの手伝い。イワンは母ちゃんの手伝い。料理を作って下町へ持っていって食べてもらうんだ。 父ちゃ
んの言い付けさ。『今日はこれだけで御免ね。』診察代、食事代、みんな困っていても渡してくれる。母ちゃんがそれをもらって
帰るんだ。「人がいいのにも、程がある。自分の命削って、皆の面倒見て。」イワンはいつ、母ちゃんの愚痴聞いていた。でも!母
ちゃん、父ちゃんには愚痴こぼさなかった。父ちゃんの死ぬ時も!母ちゃん笑って手を握っていた。
3人になって。母ちゃん、ここへオレ達を連れてきた。『父ちゃんの所へ今から行こう。』って、オレ達の手を引いて川へ向かっ
て行った。
そこへ、通りかかったのがズボのおやじ。それで、今もオレ達と母ちゃんはここにいるんだ。 オレ達の新しい生活が始まった。」
それは、数年前。ズボフスキーが愛するガリーナを失った 直後の出来事でした。彼の胸に“ ポッカリ ”開いた悲しみの深い穴 !
陽気な双子との出会いは悲しみの穴を少しずつ埋めていってくれたのかもしれません。ズボフスキーは二人に革命の話はしません
でした。まるで、わが子の様に大切に可愛がりました。
「おやじ、オレ達の体つき見てさ、笑いながら言うんだ。“二人共、立派だなぁ。それが生かせる様にしっかり鍛えろ !”ってさ。”泳
ぎが得意なイワンは水のエキスパート。走りが速いオレは陸のエキスパートになれっ ”て」
リュドミールは噴き出し「エキスパート ? 」マクシムは真剣な顔で「誰にも負けない事だ。一番って事 ! 」リュドミールはマク
シムの話が楽しくてたまりません。
「おやじがさ “ いつか、困った時、その力!おれだけの為に貸してくれるか ? 絆で結ばれた本物の仲間として ”初めて おやじ
の役に立った ! 嬉しくって昨日、母ちゃんに報告した。ピエール兄さんの所にも行くって言った。母ちゃん 泣いて喜んでた。
“よろしく伝えて。元気にしてる。”って。」
「ぼくも行くんだ。ボリシェビキの初仕事が終わったら、ピエールの病院へ。」
「そっか。そっか。」
「これからも、ズボさんの右腕と左腕だね。二人は。」
「良く知ってるな、イワンに聞いたのか ? リュド。お前さ、痩せすぎ ! 体を鍛えた方がいいぜ。力、貸してやる。」
「あぁ。お願いするかな ? 」
「宿屋ヘ戻って、朝飯食べよう。これから初仕事だろ ボリシェビキの。」
「うん。外国へ出発する列車の乗客の身元チェックをするんだ。」
リュドミールはそこで、ドイツヘと旅立つ二人と再会するのでした…。

3話も “ロシアのお話 ”です。
ミーナ
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