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再会・2
お父さんは遠い昔、革命家でした。
でも、私が生まれて、危険より安全を、民衆より家族を大切にしたいと、思い、革命家をや
めました。
そして、お母さんと出会う切っ掛けとなった音楽の道に進むため、今は亡きドミートリィお
じさんと同じモスクワ音楽院で立派な音楽家を目指し、6年間みっちり勉強したのです。
私が七つになった年、お母さんを迎えにロシアを後にしました。
ところが、私達がドイツに着く少し前、お母さんは悪い人に誘き出されベルリンへ、そし
てベルリンの運河へ突き落とされてしまったのです。
でも、命は助かりました。(よかった!)
ところが、首をとても強く絞められ、大量のお水を飲み込み、声帯がひどく傷つき、壊れ、
声を出す事が出来なくなってしまったのです。
一歩違いでドイツに入国した私達、間に合わなかった・・・!お母さんは声を失って、ベ
ルリンの病院に入院していました。
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再会・3
私達は急いでベルリンの病院へ向かいました。そして、お母さんのお姉様マリア・バルバ
ラおばさんに病室へ案内してもらいました。
お母さんはベットの中から、無言で私達を見詰めています。『せっかく、会えたのに・・・
こんな姿でごめんなさい。』そんな、心の声が聞こえてきました。
お父さんは、『もっと、もっと、早く迎えに来ていたら!』と、自分を責めました。お父さ
んの背中、とても寂しそう。
病室は、とても悲しい色になりました。
一度は″死んでしまった。″と、思われていた私が、今、ここにいる意味が、その時、初め
て分かりました。
『今こそ、悲劇の二人の役に立ちなさい!』そんな声が、どこからか聞こえてきた感じがし
ました。
『でも、なんて言えばいいんだろう?お父さんを励まし、勇気を出してもらう言葉がわから
ない!どうしよう。どうしよう・・・』
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再会・4
私は、静かに目を閉じました。体がすーっと軽くなり、そして、不思議な力が胸の中に入っ
てきたような?気がして、目を開けました。
自分では信じられないぐらい、難しい言葉を使って、お父さんを説得し始めたのです。
「お父さん、悲劇の陰には、必ずもう一つ幸せへの道があるよ! 悲劇に涙している限り、そ
の道は、見付けられない。生きている事に感謝して、、三人でその幸せを見つけて行こう!
お母さんは今、お話し出来なくても、いつかきっと、声が帰ってくる。そう思えば楽しみに変
わるよ!」
お父さんは私のお願い事に弱く、そして、単純です。
お父さんの目がキラリ!と、輝きました。
「俺はハガネの男アレクセイ。美しい妻と娘に世界一の幸せをプレゼントするぞ。」と!
マリアおばさんが私をギュッと、抱きしめてくれました。″不思議な…血のあたたかさ…″。
お母さんが懐かしそうにこっちを見ています。お母さんも遠い昔、こうしてもらったことがあ
るのね。言葉が話せなくても、目を見れば、今の気持ちが伝わって来る…。そう思いました。
その日から、退院の日まで私は、お母さんの病室にお泊まりしました。「会えて嬉しい!も
う、何処へも行かないでね。」
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再会・5
お母さんの声は戻らないけれど、体は少しずつ元気になって、病院のお庭を一緒にお散歩出
来るようになりました。
お父さんは「11月になったから、咽を冷やさないようにしろよ」って、素敵な手編みのショー
ルをプレゼント。
ナイトドレスの上にショールを巻き、私と二人で歩いていると、みんなが私達を振り返るの
よ!だって、お母さん、とっても綺麗だから…。
マリアおばさんがお見舞に来てくださいました。
「ビックリした。なんなの、一体、これは?」
お父さんが毎日、毎日、お花を買ってくるので、病室がお花畑。
「ユリウス、愛されてるのね。」
おばさんは、入院中のお母さんの身の回りの世話を優しくしてくださいます。 髪をといて、
身体をきれいに拭いて、そして、咽にやさしいゼリーやプリンのお見舞も。
お母さんの心強い、お姉様です。
そして、「もうすぐ、退院ね。お祝いのプレゼントよ。」って、大きな包みを置いて、帰って
行きました。
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